64.「あの子」が「この子」になった日

ご無沙汰です。
最近、電話セッションだのセルフセッションだのに嵌っていました。
しばらくは楽しく真面目に勉強続けるので、なかなか日記は更新できないかも~。
でも生きてます♪

3年半ほど前、病気が9割がた回復した頃に書いた「あの子」という日記があるのですが、おずおずと語る声を聞きながら、「嘘つき」と笑ってしまう昨今です。

日記はこれ。
https://naomiyamamoto1.com/blog-entry-910/

だってこの子、感じるの止めなかったんだもん。
ただ沈黙しただけだもん。
独りのままでしぶとく生きのびたし。

ここ何年かは「自分に還る」ということをやってきて、ものすごく調和した感があったのですが、ちょっと「得意分野で自分を活かした社会参加」ということをしたくなってます。

でもってわたしの最大のうりは、「感覚」だと思うんですよね~。
「感情」でも「知性」でもなくて。
売れる本を予測したりとか(理由はない。ただ本が呼ぶだけ。けっこう当たる)。

で、もっと表に出てきていいよとささやいたら、なんかとんでもないことにたらーっ(汗)

人前で話すのなんかなんとも思ってなかったのに、「視線が集まるのが怖い」とかいきなり復活!
ぎゃ~、3つくらいだよ、この感覚。

あるいは、ふっと小学生入学前の視力検査の記憶とかが出てくる。
片目かくして検査するでしょう。
あれって、絶対に隠したほうの目の視力を測るんだと思ったの。
でもって見えませんを連発して大騒ぎになったりとか。
(いえ、すぐに表面上は軌道修正しましたが)
でもね、見える目の視力を測るのって変。隠した目でどれだけ見えるかのほうが知りたいよね?とか、そういう素朴な疑問が今更のように出てくる。
でもって、目を閉じてみているものってあるよね、とか。

あああ、感覚も感情もむちゃくちゃ幼いよう。
ちゃんと育ちますように(祈)
穏やかだったマインドもけっこうぐらんぐらんしています。

でも楽しい。

自分を活かすことの歯止めになっていたのは、母へのイメージ。「混沌の悲鳴」というのが、母なるものに感じるわたしの固着したイメージで、「正直な感覚はけして語ってはいけない」というのが間違って学んでしまったメッセージだったのですが、そこから抜けたら、母へのイメージもまた変化しました。

彼女は、自力では手に入れられなかったかもしれないけど、望むことを知っていた。ぐちゃぐちゃに混乱しながら、がんじがらめの中で生きながら、自分自身から逃げながら、それでもわたしに「希望」を伝えてくれていたなあと、最近は思うのです。

だっていつだって、記憶の中の空は青い。
世界は広い。
これはこれで、すごいものを貰ってきていたんではないの?としみじみしています。

さあどんどん感覚を磨いていこうっと。
放置していて全然育ててはいなかったので、大変だよう。

でも当時「あの子」としか呼べず、見ることも触ることもできなかった真っ黒な塊は、いつの間にか「この子」としてわたしの中にしっかり根付いて伸び伸び生きていました。もっと派手に出て行きたいそうです。
どこまで寄り添えるかな。
楽しみです♪

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