63.あけみちゃんのところに行くとなんだか道に迷ってしまうんだ

名古屋講座の2日間が終わりました。

ライブセッションでセラピストロールをさせてもらったことが、後からじわじわと嬉しくなりました。
(Hさん、本当にありがとうハート達(複数ハート)

待つこと。
実はわたしの課題のひとつだったのです。
答えは言わないけど、クライアントさんの主訴や、今この瞬間に魂が求めているものじゃなくて、その先の先に道筋を付けようとしてしまうわたしがいて、でもそれは考えてやっていることではなくて流れの中で自然にいってしまうもので、コントロールできないことに困ってました。
けして意図的に誘導するわけじゃないんだけど。

でも10歩先の世界を必要かどうかは、ご本人以外にはけして判らないこと。
1歩歩いた後では、まったく必要ないものかもしれないんです。
(というか、本当に必要ない)
自分の中から出てきたものだけが、その方の力と確信になる。

でも今回。
Hさんとセッションをさせてもらえて、待てる自分がいた、待てていたよと言われたのは、本当に嬉しいことでした。
展開力とか、積極的なアプローチとかいろいろ次の課題はあるけど、それはそれ。今から勉強していけばいいんだし。
ああ、なんだかひとつ階段あがったかな~ハート達(複数ハート)

で、ふくふくと喜びを味わいながら、名古屋駅に向かっていると、あちこちでやたらと迷うんです。

あれ?
前にもあったよね、これ。

3年前、あけみちゃんのワークに初めて参加したときも、海外でもどこでも
平気で行っちゃうわたしが、妙に道に迷って、方向音痴を自負している?華さんに案内されたことあったっけ。
(今回はEちゃんに道案内してもらいました。ありがとね、Eちゃん)

危機感はないんだけど、どこかふわふわした見当識喪失。
新幹線の中で、ちょっとマインドフルネスになってみたら、全然違う感覚が出てきました。

すごいパワーがあるね。
動じないね。
沈黙をちっとも恐れないね。

そういうナリッシュメントがものすごく嫌だ。
もう勘弁して。

(誤解ないように補足すると、言ってくださるのは全然構わないし嬉しいしありがたいんですよ~。
単に、わたしの中のどこかに反応があって、それは誰のせいでもないわたしがつくっている何かが原因なのね)

で、2日間、妙にメンバーのお1人の「Kちゃん」が気になってしかたがなかったことがふっと奥の方から出てきました。
Kちゃんご自身でなく、「医者」というレッテルに、時折過ぎる爆発的な怒り。
なんのシャドーを投影しているのかなあ・・・。
絶対これ、父の主治医とか、わたしの主治医とか、助けてくれなかった社会構造だとかそういうものだよね・・・。
別れる前に実は直接Kちゃんに、いつかセッションしてくださいね、ってラブコールもしていたんだけど。なんか気になって仕方がないからって。

で、新幹線の中でセルフワーク。
窓際なのをいいことに、ぼろぼろ泣きながら、助けて欲しいときに誰も助けてくれなかったことなどを思い出して、その時の辛さ、悲しさ、苦しさをただ受け止めてみていました。
(一番盛り上がって泣いていたときに、車掌さんが「切符を拝見~」とやってこられて、焦った焦ったあせあせ(飛び散る汗)。いえ、失恋でも悲しいことがあったわけでもなく、ただのワークですから。言えないけど)

でもたとえワークでも、始まったら流れは止まらない。
泣きながら新幹線を降り、ちょっと日常感覚を取り戻して、乗り換えてまたワーク。

せっかくのチャンスだから、直接会えるときまでしまっておこうよ、と理性は言うけれど、やめられないとまらない。

「優しい娘さんですね」
昔、アルコール依存症末期で呆けたの父を精神病院に見舞った折に、父の主治医が母に向かって言った言葉が脳裏を駆け巡ります。

綺麗な言葉です。
でも言われているのは、母です。
誉められているのはわたしではないのです。
わたしはそこにはいない。
慰められているのは母だけです。
そして求められているのは、父へのサポートを続けることだけです。

わたしがここにいるのに。
わたしも苦しいのに。
わたしももう限界なのに。

わたしが内心で、頼むから一生父を閉じ込めてくれもう家には戻さないでくれもうあんな思いをさせないでくれいっそ彼を殺してくれと願っていることなどまったく関係ない。

今までどれほどのことがあったか、何を感じていたか、今どういう気持ちでここにいるのか、誰ひとり見ていない。

見舞うことにどれほどの恐怖と抵抗があり、見舞う自分の心の汚さにどれほど自責を感じているか、「優しい」といわれることでどれほど切り刻まれるか、まったく感じていない医師の綺麗な口当たりのいい口上。

突き上げる憤怒とその奥の悲しみ。淋しさ。
ああ、これかなあ・・・。

わたし自身に向けられるサポートがなかったことを取り戻したいんだなあ・・・、きっと。

で、いったん切り上げてあとは次回でもその後のいつかでもいい、直接Kちゃんと会えたときに機会があればやってもらおうと思っていたのです。
どんなに暴れても、もうそれはわたしの中の一部でしかないからいそがなくても大丈夫だし。

ところが。

今朝、ふとあけみちゃんと会った頃ってどうだったっけ、と昔の日記を読み返していたら、怒涛の涙。
泣いて泣いて、自分の書いたことなのに耐えられなくて、はじめて判ったこと。

今、一番傷ついているのは昔のわたしじゃない。
わずか3年か4年前の、大人になったわたし。
PTSDで解離と不眠と侵入的回想とフラッシュバックと感情失禁と鬱に毎日毎日襲い掛かられて、へとへとになりながら仕事をしていたわたし。

子どもの頃と違って、自分に何がおきているかはもうわかっていた。
子どもの頃と違って、きちんと外部に話しかけて助けをもとめた。
だけど誰にも伝わらなかった。

知識のない社会福祉センター職員。
共感力のない認知行動療法のカウンセラー。
まったく効果のないセロトニン再取込阻害剤(注 効く人には効きます。わたしには効果がなかったというだけ)を処方するだけの精神科医。
PTSDだといっても、「抑鬱」と診断書を書こうとする人に、最後までまったくACoAに理解も関心も持たない人に、欲しい薬の種類までこちらから要求していかねばならない徒労感。

一番助けが欲しいときに、一番サポートが必要なときに、そのサポートすら自力で捜し求めなければ手に入らなかった時、わたしのどこかで、「もう話しても無駄なんだ」というコア・ビリーフができてしまっていたらしいです。

ACの自助グループの紹介で、東京のFAPという方法のカウンセリングをしているO先生に繋がらなかったら、多分今のわたしはいない。

FAPは話さなくていいカウンセリングだよ。

そう聞いて、どれほど救われたかしれない。
初対面で、ほとんど話もしないうちに、

「うわぁ、ぼく寒くてたまりません、暖房つけていいですか?」
 暖かい11月。
 わたしの病状を体感された先生の、全身のフィードバック。
 「典型的なACoAのPTSDですね」
って言われたとき、ああ、この先生は説明しなくてもちゃんとわかってくれると信じられた。

 70時間余のカウンセリングを経て、発作がどうにか受容できる程度におさまって、自分には自分の人生があっていいと頭では理解できるようになった頃。
インナーチャイルドを抱くことも見ることもできない真っ黒な塊として感じられるようになった頃。
 あけみちゃんに出逢った。
 とんでもない扉が開いた。
 すさまじい、コア・ビリーフに気がついた。

「わたしは生まれてきてはいけなかった」

あけみちゃんのおかげでひチャコさんや郁恵さんに出会った。

 今やインナーチャイルドは、黒かろうが白かろうが赤かろうが青かろうが、わたしの一番の相方です。

 でもどこかでわたしは言葉を許していない。
 言葉の力を信じていない。
 言葉を発して助けてもらった経験がないから、ただ寄り添うだけでなく、展開するために言葉を用いることに、すさまじくブレーキがかかる。

 話さないで通じるやり方だけがわたしを救ってくれる。
(言葉は無意味なんだ)
 自分から出てきたものだけが、真実だ。
(助けてくれる人はどこにもいない。自力で戦っていくことでしか手に入らない)

 これはこれで一面の真実。
 でも今、誰かをサポートしたいわたしにとって、一番障害になっているのもこれ。
 
 深いところで、戦いたくなかったわたしが泣いている。
 ただ助けて欲しいと願って願って、発信し続けて、叶わなかったわたしの一部が、そんなもの何の役にも立たなかったじゃないと叫んでいる。
 そして今まで一度も、わたしはわずか4年前の大人の自分に寄り添ったことがない。小さな子どもと遊ぶばかりで。
 
 共感のない言葉はただの暴力だけど、ラビングブレゼンスを持って発せられた言葉はきっと違うんじゃないのかな。
 そういうサポートはありなんじゃないかな。
 
「世界には悪意がある」
いつだったか、郁恵さんとのセッションの中でわたしは言った。

 でも世界には悪意はないよ。
(善意もないけど。ただ世界は世界)
 悪意がある、と言うことで蓋をしたいわたしの痛みがあるだけだよ。

 だから今は、まずわたし自身がそれを味わいたい。
 本当に言葉が根源まで沁み込んだとき、何かが劇的に変わる予感がする。
 癒し以上の領域へ。
 ただのワンダーチャイルドじゃない、発信できる大人として。

 とことんまで自分から出てくるものに寄り添えたおかげで、ようやくその次の段階に目が行くようになったような気がします。

 Hさんありがとう。
 あちこちで大忙しだった、Kちゃん、ありがとう。
 Mさん、治療法がないというシェアは、わたしのものすごく深いところに響いたよ。
 暴れてくださったみなさん、ありがとう。
 あなたがたの声が届いたことにすさまじく共鳴しました。
 彼女らをサポートしていたお父さんs、きちんと受け止められる言葉と、1人では達し得ない集団のサポート力、わたしが疑い続けている社会というものの違う面を垣間見せてくれました。

 何もかも、あのメンバーあっての展開で、全然思ってもみなかった課題に出逢えました。
 ありがとうみんな。
 
 そして4年前のわたし。
 今まで放置していてごめん。
 でもありがとう。
 そこにいてくれて。

 そしてあけみちゃん。
 講座を開いてくれてありがとう。
 でもどうしてあけみちゃんと会うと、道に迷うのかなあ。
 きっと10歩先どころか、とんでもない先まで行っていいんだよって気がついてしまうからなんだろうなあ。
 ああ、やれやれ( ^ ^ゞ 

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