『精神科医が教える親を憎むのをやめる方法』を読みました

『精神科医が教える親を憎むのをやめる方法』益田裕介著 角川書店 202302刊

youtuberとして日々動画でいろんな知識をupされている益田裕介先生の本が刊行されました。
この先生を昨年、公認心理師の勉強をしていた時に偶然youtubeで知りました。何名かの専門家との出会いがある中で、試験を終えた後も好奇心を掻き立てられる数少ないチャンネルです。
なんといっても毎日のように更新される動画。

精神科医がこころの病気を解説するCh

この先生本気(でクライアントやご家族や知らない人たちを育てようとされているん)だな、と感じておおっ!となります。
皆さまも惹かれるテーマがありましたらどうぞご覧ください。

でもって今日はこの新刊

『精神科医が教える親を憎むのをやめる方法』

 の感想を書いちゃおう。2023年2月に出たばっかりです。

そうだな、と思うこともちょっと違和感、と感じることもありますが、わたし自身が体験してきた無意識や関係性を取り扱う療法や今も学んでいるキャラクトロジーにも通じる世界観があるなあと感じています。

 

はじめにを抜粋するとこんな感じ

 

・親子の問題を抱えていると治療が長引く

・親子関係に問題があると、本人の価値観や感じ方に「ゆがみ」が生じていることが多々ある

・親との関係は最初の人間関係。その後に出会うすべての人との関係性の基礎となる。

・知識は支援者、当事者に有効

・親に傷つけられた子どもは親を客観的にとらえることが苦手

・親自身の問題を医学的・社会的視点から概観していこう ex.発達障害 メタ認知

・最初の人間関係で持ってしまった隔たりやゆがみを、この本で少しでも修正できると喜ばしい

 

チューニング/プルーニングについてしろう

最近「毒親」という言葉が流行しています。それについても先生は少し疑問を呈されています。

それは治療的ではないですよ。あまりに単純で一方的な見方で、子どもの心の成熟をさまたげてしまうから、理解が表面的に留まってしまうから、というのです。

これはわたし自身にも実感があるところ。
昔「アダルトチルドレン」という言葉が大流行しました。

『子供の愛し方がわからない親たち』という本が翻訳された時、わたしの苦しみはこのせいだったのか、と誰にも言えない伝わらない苦しみが明確になって、ほっとしたのを覚えています。その理解は、言語化は本当にありがたかった。でもその後、自分を被害者にしてしまった。苦痛の記憶を何度も何度も反芻してしまった。被害者の立場に留まってしまった。そうすると脳はどんどん苦痛の記憶の方にチューニングしてしまうのですね。

「それは過去のものであり、現代現実に起こっていることではない」と益田先生は「チューニング/プルーニングについてしろう」という章で書かれています。

でも当時のわたしは、頭の中では今も現実に起こっているように過去を感じ続けてしまいました。
頭の中では日々選択して強化(チューニング)と忘却(プルーニング)が起こっているのに、常に記憶を更新してリアルにとどめてしまうのです。

おかげで複雑性PTSDも発症しましたが、現在では当時フラッシュバックしていた様々な記憶はうっすらとしています。むしろその当時プルーニングしていた他の記憶が出てくる機会が増え、両親や兄弟との穏やかな時間もたくさん思い出しました。そして過去は過去になりました。大切なのは今の時間。大切なのはわたしが幸せに生きること。自分の中にある穏やかな時間、豊かな体験、喜びにチューニングしていくと、苦痛の記憶が薄れていきました。今では苦痛も喜びも両方あった、両方あるという視点に変わったのです。

 

第4章 どんな未来を選択するか

 

この章も興味深かったです。

 

「親がわかってくれない」というバイアス

“つまり「親はわかってくれて当たり前」という幻想です。その根底にあるのは、親は自分より賢くて、経験値が高いに決まっている、といった「親は万能」という無意識的な幻想”

“今、自分が携わっている仕事を親ができるかどうか、考えてみましょう。少し想像をめぐらせただけで、「できないだろう」とわかるはずです。”

“親世代と比べて、僕らはコミュニケーションスキルに関する研修を、学校や職場で知らず知らずのうちにたくさん受けています。なので、コミュニケーションに対する根本的な理解も、世代によって大きく違います”

 

いやもう、これが納得できたら苦しんでないんです。

でもその通り。

読んでいて優しいな、と感じたのは、がっつり絡み合って感情も動く「幻想」が間違っているよと言うのではなく、もう一つ上の次元から考えてみたら?と提示されるところ。
わたし自身は、『大地』パール・バックや、『レ・ミゼラブル』を読みながら、世代間の愛の誤解や限界やもつれを理解していきました。認知療法の一環だったな、と思い出します。

小説の中で提示されているものを俯瞰してみることで、自分が体験したことが、苦痛であり、痛みであっても、ありうることなんだと重層的に受け入れていきました。世代の求めるものも違うし、親は万能ではないし、子どもの愛も万能ではないと受容していったのを思い出します。それが苦痛だ、と認めることとそれがあると認めることは両立するのですが、子どもにはこの両立は難しすぎてどちらかが間違っているとかおかしいと平面的にとらえてしまいがちですね。

 

 

医師は患者さんのあちこちにある「詰まり」を取る

「抵抗のあるポイントは、いくつもあり、診察のたびに、一緒に悩んだり、考えていきます。いわば、あちこちにある「詰まり」を取るようなものです」

 

人間の尊厳とは何か

「他人にはない苦しみが自分の人生にだけ起きていることを、僕らは受け入れられるのでしょうか?」

 

誠実な、ハートの暖かい方だな、と感じます。

治療者との出会いは相性も、タイミングもあり、そして誰かひとりが自分を救ってくれるわけでも、何か一つの教えがすべてを叶えてくれるわけでもありませんが(それこそ親はわかってくれて当たり前の幻想に嵌っちゃだめですね)いい本だなあと思ったのでご紹介です。

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