小猿の大冒険 1 セルフ・イメージワーク

もんちゃんのグラウンディング・レッグスというワークの簡略版を見て興味が湧いて、自分でもセルフワークで立ってみた。
右足は地球を突き抜ける。でも左足首から先の感覚がない。
両足で立つことに不安も恐怖もないけれど、足と足の間に深い裂け目がある。
これは埋められない。

左足首にストッパーがあるような気がする。取ってみたらどうなるんだろう?
お風呂に浸かりながら、べりっと剥がしてみた。

とんでもない悲しみが溢れ出した。正体不明の悲しみ。自分のものなのか他人のものなのかわからない。いきなり涙が止まらなくなった。
ふと500年ものという感覚が出てきた。1000年じゃない。500年。
その途端、剥がした塊が痩せさらばえた猿に変わった。
え??? 五行山に埋まった猿(孫悟空)ですか!? 

ジャコメッティの造る彫像のようにガリガリに痩せた猿。もはやなんの望みもいだいていないけれど、死なない猿。
子猿自身の絶望は、わたし自身の悲しみだった。
欲しくて欲しくて欲しくてたまらないのに貰えなかったもの。
自分が自分であることで壊してしまったもの。
上手く成立させられなかった幼少期の母子関係の一瞬一瞬につぶしてきた他愛ない、けれども切実な願い。
恨みは消えても、渇望は消えても、残っていた無色透明の果てしない悲しみと飢え。

「欲しい。今すぐ欲しい。何もかも欲しい」
生まれたての赤ん坊の無音の叫び。届かなかった希求。
それほどに飢えながらも、この猿の形をしたインナーチャイルドはわたし本体が傷つかないようにストッパーをしてくれていたんだ。そう感じたら愛おしさが込み上げた。
お腹に入れてやろうと思った。幸い、腹は母方譲りの永久機関のエネルギーを持っているし。
ところがどっこい。
猿を上半身に誘導したら、正体不明の悲しみも腹に入ってしまった。いきなりお腹が冷え冷え。2、3日持て余した。凍りつきはしないけれどもとても冷たい黒々とした湖。
猿は干からびたまま、脛に張り付いている・・・。

ある晴れた日。
こんなに地面が裂けているのに、こんなに左右の足の感覚が違うのに何で平気なんだろうと両足で立ってみた。裂け目をまたいで伸び伸び広がる1本の大木のイメージ。
右足を地面にトン。スコンと穴が開く。左足をトン。足下の地面に跳ね返って頭頂まで管が通った。
おや?これって、もしかして繋がってないかい?
思った途端、裂け目だと思っていたものはただのエネルギーラインに変わった。
わたしを通って天と地に繋がる一本の管。
胎内めぐりをさせてみたらどうだろう・・・?
脛の猿をラインに乗せてみた。足から胎内を通って頭の上に。
頭の上に出た途端、痩せさらばえていた子猿は、可愛い小さな子猿に変わった。
お腹の中が暖かさを取り戻した。

ぼんやり後頭部で日向ぼっこをする子猿。
「欲しいって言っていいよ。何もかも欲しいって言っていいよ。今すぐ欲しいって言っていいよ」
声掛けをしてみた。
「欲しい、欲しい、欲しい、欲しい」
「掴め、掴め、掴め、掴め」
彼方に見える小さな光。遠い光。
子猿はぼんやりと見ている。
見ているだけ。響かない。動こうとしない。

その夜。
人間として、社会人としてどうよ、と思うほどの衝動が暴れた。
今すぐ叶えたい、今すぐ奪い取りたいと胸が騒いだ。
子猿ではなく、わたし本体が。
子猿は、小さな腕でわたしの頭をきゅうっと抱きしめる。
緊箍児(きんこじ:孫悟空の輪っか)のように。

この子猿は何?
セッションしてもらうことにした。
クライアントロールのネタができたぞ♪

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