その昔、倫理学の講義で言われました。
王道だったか、大通りだったか。
そんなの無理じゃん。
私はあきらめをもって反発してました。
この欠落と、虚無を抱えてどうして日向を歩けるの?
ゼミの先生は「路地裏の大英帝国」のファンで、路地とか狭い通路とかを愛していて、でも本質的にはぼんぼん。
共鳴しながら、でもこれも違うと思ってました。
日向にいる人が、路地裏に憧れるのと、路地裏に生まれ育つのは天と地の差があるよね。
あれから20年余。
結局、人生は王道なのかもしれないと思ってます。
困難な道も悟空にとっては一つの地図ー目的地への最短の路がはっきりと太く線を引かれた一つの地図ーとして映るらしい。
現実の事態の認識と同時に、その中にあって自己の目的と到達すべき路が、実に明瞭に彼には見えるのだ。あるいはその途以外の一切が彼には見えない、といった方が本当かも知れぬ。
「悟浄歎異」 中島敦
あっちへよろよろ、こっちへよろよろとさ迷いながら歩いてきたものを振り返ると、大きな一本の道が通っているような、そんな気がするのです。
路の解釈は、結局のところ「今」の感じ方次第なんじゃないかと、仕事にも行けず、家族ともまだろくに話せずの状況でもふてぶてしく思い始めています。
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