24.生まれなおし

頭は納得し、心が満ちたりても、
消えない身体の感覚がある。
名前を呼ばれる恐怖。
赤ん坊を見る時の不安。

人は思い込みから解き放たれたとき、
他人の心ない罵声も
もう自分を傷つけないことに気が付く。

けれども、「無い」ものは消せない。
わたしは抱擁を知らない。
わたしは授乳を知らない。
わたしは安心を知らない。
わたしは家族の一体感を、最初から知らない。

充足を取り戻そうとすると、
生まれる前まで還るしかない。
でも生まれる前でさえ、
早く、早く
とせきたてる声が聞こえる。
無力でいてはいけない。
早く動かなきゃ。

わたしは頭に刺激を貰った。
心の栄養は貰った。
でも肉親との一体感や、
何もできなくてもそのままでいいんだよ、という乳児の万能感はもらえなかった。

木は地面から生える。
地面が、わたしにはない。
最初から土を落としてスーパーに並ぶ野菜のようだ。

わたしは名前が嫌いだ。
両親とは何の関係もない、寺の住職につけてもらった名前だから。
意味は?と尋ねても、親は知らなかった。
戒名でさえ、由縁があるのに。
名前を呼ばれる度に、
その名前に意味はないよ
私たちとは無縁だよ
と言われているような気がする。

赤ん坊を見ると焦る。
動け、早く役に立て。
どうしてそんなに寛いでいるの?

Ikueさんの前で号泣した。

こだわりから解き放たれるだけで、
柔らかな感覚を取り戻せる人が
羨ましい。

わたしはパブリックな、誰からでも貰える愛情は貰った。
でもプライベートな親子の情は、双親ともくれなかった。
知らない感覚は自力では取り戻せない。

うずくまって、
上から覆い被さってもらった。
親が胎児に掛けるような声を
たくさん掛けてもらった。

しばらくするうちに、
暑くなった。
外に出たいと、自然に思った。

後ろから抱いてもらった。
力が抜けない。
体重をかけてはいけないと、
どうしても感じる。
そういえば、美容師にシャンプー台に仰向けに倒される時でさえ、
わたしは体重を掛けることができない。
染み着いたコントロールの呪縛。
横伏しの態勢で、ようやく落ち着く。
でも安心よりも不安が高まる。

おばさんはしてくれた。
母はしなかった。
快と不快の差が際立ち、
寛げない。

休憩して、確認をした。
Ikueさんの身体に負担は掛かってないのか。
わたしが力を完全に預けたらどうなるのか。

大丈夫だと言われた。
辛い態勢だと続かないよ、思いっきり寄りかかっていいんだよ。
赤ん坊は何にもできないでいいんだよ。

授乳の態勢で、再開した。
この感覚は知らない。
奇妙だ。
やっぱり力が入る。

少し態勢を変えたら、
やっと全身を委ねることができた。

やっとわかった。
赤ん坊は何にもしなくていい。
身体を突っ張るよりも、全身を委ねているほうが、
ずっといい。

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