26.フルコースデザート付き

一昨日の個人セッションでわかったのは、わたしのストライクゾーンはものすごく狭いということ。

慰撫のための接触もして欲しい触れ方でなければ不快だし、子守歌でさえ侵略されたと感じてしまうということ。

触感や声のトーンも自分が座る位置ですらも、「これ」でなければ嫌だと感じるということ。

記憶の安心感は全くなくて、だから具体的に欲しい接触方法も知らなくて、今体験するものが初めての快不快。

差し出された手を気持ちよい、悪いとその都度感じて、嫌だとか好きだとか表現できて初めて、関係性やソーシャルスキルを積み上げていけるということ。

誘われるのは基本的に嫌で、自分からやりたい方法で触れるのが好き。

ハグも時と人によっては、今は嫌だと感じるということ。

どんなに安全な場やメンバーを相手にしていても、今欲しいとか今は嫌だとか、微妙に感じわけているということ。

わたしは感覚を知らなかったのではなくて、それを表現していいのだということを知らなかったのだということ。

表現しても伝わらなかったから、ずっと世界と隔絶したままでいたということ。

わたしは仲間入りしたくない。
私のもとに歩み寄ってほしくもない。

宗教も道徳も規範も異なる外国人同士で、分かり合えない感覚をそのままに一緒に暮らしたい。

帰化しないで。
帰化させないで。
でも無視しないで。
あなたはあなたでいい。
わたしはわたしでいい。
安易に共感しないで、主張しあって接点を作っていこう。

頭や心ではなく、感覚の部分で、わたしは誰とも違う。
わたしは誰とも分かり合えない。
でもそのままでいい。
そのままでいたい。そのままで関係性は作れるはず。

わたしが黙り込まなければ、あなたがわたしを引き寄せなければ。

違いがいい。
違いが嬉しい。

一つ一つのワークの中で、細かく細かく望みをいい、そのとおりに触れ合う。

このワークはこの人と、あのワークはあの人とやりたい。
ものすごく細かいメモリがあるから、代替はきかない。

誰が泣いていても、今は慰めたくない。
でも今あなたの隣にいたい。

わたしの自閉症的傾向や、発達障害的傾向をそのままに生かしてフルコースのメニューを堪能しました。
そして最後に思いがけないデザートまでついていました。

ある一人をわたしの感覚のままに受け止めていたら、その人が泣き出されました。

急にハグしたくなり自分の言葉をかけようとしたところ、ふわっと違う言葉が浮かんできました。

その人の言葉に寄り添う言葉と、いつもの発声とは違う声。

発される言葉に呼応して出てくる言葉を、何も考えることなく返し続けて、その人がもういいという仕草をするまで続けてしまいました。

何かが起きたとその人に言われました。

見ていた人に、今のはセッションだったと言われました。

何を言ったのか、わたしは覚えていません。

言い続けたのは、ただその人に呼応して生まれた言葉。
関係の中で生まれた言葉。
わたしのものではない言葉。
でもわたしがわたしで、その人がその人だからこそ生じた時間。

終わった時、ありがとうという言葉が自然に出てきました。

こんなに素晴らしいプレゼントをどうもありがとう。
参加させてくれてありがとう。
あなたがあなたでいることが、嬉しくてしょうがないよ。

なんて素晴らしい2日間。
Ikueさん、アコンパニストの方々、すべての仲間たちに感謝です。

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