30.可能性の海

あけみちゃんの次の日記のブログをフライングして読んできました。

無意識の豊かさや勇気や可能性について考えていたところだったので、シンクロニシティ。

黒いオセロの盤面をどうやったらひっくり返せるのか、どうやったらエネルギーがわいてくるのかと苦しんでいた時もあったけど、ないものはないんだというのが、今の結論。

わたしの外にはないんだよ。

例えばそういう時代だったからとか、親だって親なりに苦しんでいたんだからとか、愛はあっても表し方を知らないだけだとか、理性でいかに客観視しようとしても、頭でどう納得しようとしても、意味がない。

納得しようとしたら、物わかりの悪い自分を責める方向に理性は働いてしまう。

終わったことなのにとか、いつまで子どもじみたことを言っているのとか。

でも体の感覚、理性では統御できないところで叫んでいる声がある。

理性的なのがいいと、いったい誰が決めたんだろう。
ポジティブなのが正しいと、どうして思いこんだんだろう。

感じること、自分であることに、いいも悪いもありはしない。
評価に走った途端に自己疎外が始まっていく。

他人の声や、自分を裁く理想などから離れて、内側から湧き上がってくるものだけに耳を澄ませていると、鈍化したはずの感情も体感も、果てしなく雄弁に語っているのに気が付いた。

わたしだけじゃなくて、きっとどんな人でも引き出せる汲めども尽きせぬ海、力の源。

ポジティブシンキングも、リフレーミングも必要ない。
寄り添うだけでいくらでもエネルギーがわいてくる。

なんだ、こんなにシンプルなことだったのか…。

頭に頼っていた間はわからなかったけど。

あとは焦らずにゆったりと寄り添ってみるだけ。

もう闇夜じゃない。

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