金八先生に反発するのは、わたし自身が同じ言葉を父親にぶつけてきたからだ。
そしてなんの効果もあげられなかったからだ。
他人の声なら違うのかもしれないと少しだけ考えたけれど、反省して、それでもちゃんとやれない自分に絶望してもっと酒を呑む展開が目に浮かぶ。
誰だって立ち直りたいに決まっている。
でも迷路にはまって真っ暗なところでもがいているときに、自分を責められるのは辛すぎる。
自尊心はある。
どんなにぼろぼろの生き方をしていても、どんなに自分を責めさいなんでいても、それだけじゃない自分を見てほしい。
自分に生きる力があるんだと気が付けば、自分を大事にするのは自分自身で、他人に認めてもらうことじゃないと判ってくるけど、自分は駄目だと落ち込んでいる時には、他人からの支えも必要だ。
それは世間の風にあてないように守り抜くことじゃない。
信じて手離すことが身近な家族にできることだけど、身近でいればいるほど、信じることは難しい。
信じてあげられなかったなあ。
怒り狂っていたなあ。
へとへとだったなあ。
俺だって頑張ってるんだよ。
小さな声が言う。
助けてあげたかったよ。
でもできなかったよ。
わたしも助かりたかったよ。
綺麗事なんか聞きたくないよ、今わたしを助けてよ。わたしたちを助けてよ。
飲み込んでいた叫びの数だけ傷口がある。
でも父親はもう敵じゃない。
わたしたち、と自然に考えているのに驚いている。
援助をするというのはどんなことなんだろう。
かつての父親に届く援助があるのか、今なおわたしは疑っている。
やはり歩き出すのは本人にしかできないから、小心で過敏で人嫌いの彼が復活するのは難しいだろうと冷静に思う。
まあ教師は向いていなかったね。
転職した方が良かったかもね。
過保護の幼児のままの自我を持ち続けていたから、成長するより衝動に負けたかもしれないね。
でも誉められる人生だけが全てじゃない。
あれはあれで、味のある生き方だったよ。
わたしはわたしで、今ならできることはなんだろうと考えている。
これは今後のわたし自身の課題。
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