36.中学生になったよ

…いえ頭の中が。

11月は0歳児だったことを思うと、早いなあと感動する。

1月半ばには小学校低学年をしていたわけで、益々早いなあとしみじみ…。

でもさすがに疾風怒濤の時期ですね。
やっかい、やっかい^^;

アルコール依存とか。
教師とか。

地雷源が山盛りあって茫然。

どれだけ苦しかったんだ、当時のわたし?

過去の遺産の蔵書を読み返していると、教養小説系の自我確立の作品や、戦場ルポ、過酷なノンフィクションが多くて、お気楽になってきた今のわたしにはかなり重たいです。
よくまあ、感情移入できていたものだ。

1月はFT中心に制覇していたのですが、正統派の成長ものの作品よりも、『妖魔の騎士』や『ダミアーノ』のような突き抜けてどこかに行ってしまったような作品のほうが読んで楽しい。

前者は少女やリスの姿をした妖魔の父性愛の話で、主人公の少年は狂言回し。主題はどんなに姿が変わっても愚直に揺らがない妖魔の有り様。
後者は人間ダミアーノの話と思いきや、2部で主人公を殺してしまい(銀英伝なみの驚き!)、天使ラファエルの堕天の顛末。
堕天といっても悪魔化ではなく、人間化。
天使の足の裏が汚れたり、奴隷になって汚物にまみれたりと、キリスト教圏の作者の発想とは思えない作品なのです。

今はこっちのほうが断然好みだなあ。
揺らがなさ(悩まないわけではないけど、基本的に自分を疑わない)が気持ちよい。

なぜか大嫌いな灰谷の『兎の眼』なんかも発掘してしまったわけですが、わたしは上から目線の熱血教師(正しい方向に導いてやろう)に、極端に反発するようです。

母はいい教師だったけど、家の中はぼろぼろだったしねえ。

あと、未来があるから頑張れと言われても信じられなくて、頑張ってもどうにもならない現在をなんとかしてくれよ、もう頑張りたくないよという痛切な内心の声があったような気がします。

いい先生よりも、楽しませてくれた先生のほうがどれだけありがたかったかしれない。

『不良少年…』の義家さんだったかは、「上から引っ張ってやろうとしても無駄なんだ、今を温めることが力になるんだ」と言われている。
湊川高校の林竹二先生は、生徒が答えるまで、黙って沈黙を共有してくれる。
郁恵さんの沈黙も同質だと思うけど、より良い自分をどんなに探してくれることよりも、今の自分を全肯定してもらうことだけが、力になる。

だって誰が先行きを認めてくれても、一番自分が自分を疑っているんだから。

どうしてあんなに沈黙し続けたのか、誰にも悟られないように隠し続けたのかと、マインドフルネスになって聞いてみた。

2つ答があった。

もし打ち明けていたら、もう持たなかったよ。

非行なりで行動化できる子のほうがまだ健全なのだ。
人に訴えるだけ、まだ人を信じている。
訴えても生きていけるだけの地力がある。

わたしには沈黙が最後の唯一の誇りだった。
話した途端にぼろぼろに自分が砕けてしまって、もう歩けなかったろう。

そして2つ目。

黙っていることだけが家族の絆だったんだよ。

情緒的な繋がりのない家を一つの塊にまとめていたのは、外の人には話さないという掟だけだった。

外というのは自分以外の全ての人を含む。
父親が暴れて流血沙汰があったとしても、誰も寄り添って慰めあったりしない。

母は1人で片付けるだろう、わたしは知らないふりをしないといけないだろう、兄は何事もなかったように外に出ていくだろう。

あるいは、子どもたちは親の面倒を見る。でも別々に。
親たちはけして子どもの心配をしないだろう。あったことさえ、なかったものとして振る舞うだろう。彼らはそれを認めることもできないほど、自分たちの心配事で頭がいっぱいだから。

なかったことにすると、日常がみんな消えてしまう。残っているのは、なかったふりだけ。その屋根を落とさない柱は沈黙だけ。

うわあ、痛!

絶対に誰にも打ち明けない、ばらさない、でも助けてほしいこの子に届く声はどんなんかな?

これは来月の宿題にしよう…。

それにしても今現在リアル中学生じゃなくてつくづく良かったです。

いい体験だったとは思うけど、二度とごめんだわ……。

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