39.わたしの世界をもうこれ以上壊さないで

今回のセッションはセクシャル・アビュースです。
ちょっと面倒…と思う方はここでパスしてくださいね。

マイミクさんの日記で痴漢の話が出ていました。
痴漢にあうのはとても嫌な体験です。
だのに読みながら、
「それくらいたいしたことじゃないよ。」
という冷ややかな反応がわたしのお腹のほうから出てきました。
「小さなことで騒ぐんじゃない」
という怒りもこみ上げてきました。

なんでだ?

マインドフルネスになってみたら、
「守られてない子どもには何をしてもいいんだとすべての大人は思っている」
という思い込みと、
最後には、
「わたしの世界をもうこれ以上壊さないで」
という悲鳴が出てきました。

ここまでを土産話にしてセッション開始です。

難産でした。
やはり、性的な話題は信頼している相手にも口に出しにくい。
話したいと思っても、なかなか言葉に出来ません。
された自分を恥じる気持ちが先にたつ。
痴漢やいじめも一緒。
声を上げたらいいと言ったって、遠慮なく声を上げるのには相当心理的な抵抗があります。
その上、大抵は被疑者不明のやりにげです。
基本的人権を侵害された不快感や恐怖だけが後に残るのです。
だけど、

公共の場ならそれ以上には進まないでしょう。
(一概には言えない時代になっちゃったけど…)
一対一じゃないでしょう。
密室じゃないでしょう。
知らない場所に連れて行かれて、帰る手段もないわけじゃないでしょう。
知り合いが豹変したわけじゃないでしょう。

この辺が引っ掛かっている。
特に最後。

最初の被害は中学生時代の一人旅だった。
仲居さんに襲われた。
次は高校生だった。
友達のお父さんに襲われた。
まだある。

何でこんなことが起きるのか判らない。
何度も起きるのは、どこかで自分のせいだと感じている。

一人で出歩いたわたしのせいだ。
人より童顔なのが悪いんだ。
胸が大きいのがいけないんだ。
自分の父親には触られたこともなくて普通の触れられ方を知らないから、きちんと制止できないわたしがいけないんだ。

そんなはずはないと理性では思うけど、自分を責めることを止められない。
そんなことをされた自分を恥じる気持ちが止められない。

郁恵さんが待ってくださったり、声掛けをしてくださったりするなかで、ようやく出てきたのが、

「自分のせいだと思うほうがまだましだ」
と言う言葉でした。
自分のせいなら、自分が何とかすれば被害を食い止められる。
だけどそうでないなら、地震や台風のようにいつどこで襲い掛かってくるかわからない天災のようなものなら、そんな世界でどう生きていったらいいかわからない。
ましてや身近な人さえあてにならないなら、家庭崩壊していてすでに家が安全な場所ではないわたしは、どうやって生きていく?
誰も信用できない世界で。
正しい大人のいない世界で。

そう。
ある意味でわたしの思い込みは正しい。
「守られていない子どもには何をしてもいい」
これはごく一部の例外じゃない。
すべての大人じゃないにしても、タイに買春にいく大人はいる。生徒に手を出す教師もいる。自分の子どもに手を出す親もいる。現地妻を持つことに何の不思議も感じない大人はいる。

「世の中には悪意があるって言ってみて」
郁恵さん自身には抵抗がある言葉だったと思うのですが、何度も何度も繰り返して言ってもらいました。
「ひどい人がいるって言ってみて」
「わたしのせいじゃないって言ってみて」

ようやく爆発的な怒りがこみ上げてきました。
バイトの仲居さんは、お客さんの中には誘ってくる人もいるんだよと笑って言いました。
その罪悪感のなさが一番怖ろしい。
「わたしは誘ってない!!」
「わたしはまったくそんなことは望んでない」
「でも誰に訴えたらいいのかわからない」
「言葉になんかできないのに」
「誰を信用したらいいのかわからないのに」
「中学生だよ。12歳だよ。大人なら宿をキャンセルして他のところにいけるかもしれないけど、予約なしで飛び込みで夜宿を替わることなんてできないんだよ」
「気持ち悪いよ。止めてよ、触らないでよ」
他にもいろいろと言葉を発していたら、ようやく心底からわたしのせいじゃないという確信が出来ました。

「わけがわからないよ」
みんなこんなことはたいしたことじゃないんだと言ったり、笑っていたりするから、未熟な子どもはそうなのかな?嫌だと思う自分が間違っているのかなと混乱してうまく抵抗できない。
でもそれは子どものせいじゃない。

「世の中には悪意がある」
何度も何度もつぶやきました。
子どもだったわたしにはその確信は重すぎた。
でも今のわたしはそう感じても壊れたりしない。

「悪意があるって思ったらわたしは生きていけないかもしれない…」
ぽつりと郁恵さんは言われました。
「本当の愛を知らずに大きくなった人がいる」
そんなふうに言い換えられました。

でもわたしはやっぱり悪意だと思う。
悪気はない。罪悪感もない。たいしたことだと思っていない。
そういう生き方しか知らない。
だとしても、あれはわたしの尊厳を損なう悪意だったとわたしは感じる。
個人の…というより世の風潮としてそう思う。
弱いもの、女子どもに向けられたあなどりだと思う。
だとしても、今のわたしが男性不振になったり世をすねたりするわけじゃないから、かまわない。

ふっと母の記憶が出てきました。
友達のお父さんに襲われたと言ったとき、
「そんなことはどこにでもあるのよ」
と言った母親の声。
「わたしだって映画館で、先生に手を握られたことがある…」

これだよ!!

痴漢話に強烈に反発するのはあの時の母への怒りなんだ。

そんな他愛もない話と一緒にしないでよ。
どれだけ怖かったと思うの。
どうして慰めてくれないで、わたしを責めるの。
そう、わたしはきちんと挨拶をしないと言って母親に責められたのでした。
夜道を遠方から送ってくれた人にありがとうも言わないといって。

どこの誰が終電がなくなるまで引き止めて、車で知らない場所に連れて行って襲ってきた人にありがとうなんて言えるの!
どうして危険を察知する術を、きちんと教えてくれなかったの。
嫌なものは嫌だと表現していいんだと、どうして教えてくれなかったの。

そしてもうひとつ。
初潮の時に困り果てて職場に電話したときに
「そんなことはおばさんに相談しなさい」
と怒った声も甦りました。

成長することは悪いことなんだ。
女性になるのはいけないことなんだ。

わたしはそういう思い込みもしていたらしいです。

わたしの世界はぼろぼろでした。
家がなんだかわからない。家族もなんだかわからない。外は外で危険。
「わたしの世界をもうこれ以上壊さないで」
そう感じたのも無理はない。
セクシャル・アビュースはとどめの一撃だったんだろうなあ…。

可笑しくなってしまいました。
やっぱり痴漢は嫌だよ。
母のタイミングが悪かっただけで、痴漢だってやっぱり嫌だよ。
冗談じゃないよ。
でもそんなにいろいろあったのに、結婚しているってなんてたくましいんだろう。
世をすねたり恨んだりすることを思いつかなかったのって、なんてまっとうなんだろう。
解離してやりすごすって、生きるための智恵なんだよね。
なんて賢かったんだろう。

それに全然わたしのせいじゃないじゃない。
あれは天災みたいなものだったんだよ。
どうやったって避けようがないものだったんだよ。
大人に守られてないから、なんて理由にならないよ。
そんな子どもに手を出そうとする大人のほうが間違ってるよ。

すっきりしました。
難産だったけど、最後は笑って終わりになりました。
でも相当疲れたらしく、そのあとは熟睡。
翌日のワークでも表情が柔らかいと言われ、二日とも眠気とともに過ごしました。
ここまでリラックスしたのははじめてかも…。
夜行バスも良く眠れたし。
またひとつお気楽さが増したかもしれません( ^ ^ゞ

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