44.アトラスの憂鬱

二人一組になって、一人の真後ろをもう一人がぴったりくっついて追いかけるというワークをしました。

追いかけられて何を感じるだろう、追いかけて何を感じるだろうというワークです。
半年前はどちらもただ不快だったのですが、追いかけるほうがまだましだと感じていました。

今回は、ある程度の距離をおいて追いかけていると、普段は気が付かない前の人の細かいところや周囲の状況がよくわかるなあと冷静に感じていたのですが、もっと接近してとお願いされ肩同士がくっつくほど接近したら、とたんにパニックが。

相手の状態も動きも周りのこともまったくわかりません。
近付いてと言った相手への怒りも出てきました。

あなたに何が起きても手助けできないじゃない。

そんな思いがわいてきます。

これは何だろう?ということで、二人シェアの時に声かけをしてもらいました。
お願いしたのは、

誰の面倒もみなくていいよ

という言葉。

マインドフルネスで受け止めていたら、あきらめたような声で

だって見えるんだもん

というぼやきが上がってきました。

先に気付いた者が、気付かない者の面倒をみないといけない、という強迫的な思い込みがわたしの中にはあるようです。

もうみないでいいよ。
みんな一人で歩けるよ。

と笑ってシェアしていたら、まだもやもやしたものが残っていたので、

だって見えるんだもん

とさらに声かけをしてもらいました。

不意に涙がこみ上げてきました。

小さなわたしが、転んで必死に立ち上がっています。
誰も手を貸してはくれません。
誰も気付いてはくれません。
いつも一人で立ち上がり、それでいて誰かが転びそうになると必死になって支えています。

わたしは一人で立ち上がらないといけない。
でも他の人は支えなきゃいけない。
なぜなら…。

どんな時も助けてもらえないことが、辛くて苦しくてしかたがなかったから。

他人が見えない状態は不快なのは、見てほしく助けてほしかった小さな子が悲しんでいたから。

つらかったねぇ。
苦しかったねぇ。

しばらく小さな自分に寄り添っていました。

シェアの相手に、ハグしてもいい?
と尋ねられましたが、それは拒否。

触れられると相手の情報が入ってきます。
また面倒をみないといけません。

ゆっくりと寄り添っていると、だんだんと落ち着いてきました。

見えたら、助けなきゃ!って反応が生まれちゃうね。
誰かに見つけてもらいたかった、助けてもらいたかった小さな子が残っているんだね。
でも大人のわたしが寄り添うから、もうそんなに必死になって他人のことをみないでいいよ。
わざわざ立ち位置を変えてまで、他人のフォローをしないでいいよ。

あなたのことはわたしが見守る。

他の人も、自分で自分の面倒をみられるから大丈夫。

小さな頃、地球を支えるアトラスのようだと自分のことを思っていました。
でもどんなに待っていても、代わりを申し出るヘラクレスは来てくれないなあと。

他人の状態に巻き込まれることは最近はないのですが、とっさの反応は根深く残っていたのですね。

反応自体はこれからも生じるかもしれないけれど、これからは距離を置けるんじゃないかな。

それにしても、半年前とは全然感覚が違うのに、びっくりです。

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