45.あなたはどんな人ですか?

二人一組になり、一人の人がもう一人の人に向かって、

あなたはどんな人ですか?
わたしはどんな人だと思いますか?

と聞いてみる、というワークをしました。
聞く人はマインドフルネスになってただ思いついた思考や感情を受け止めます。
言葉にはしません。
フィードバックもしません。

同じ質問を繰り返してもらいます。
いろんな思いが沸き起こってきますが、やがて「わからない」という状態になります。
そこまで行きましょう。
「わからなさ」をじっくりと味わってみましょう。

あなた(聞く人)について「わからない」ところまでたどり着いたら、
今度はわたし(質問をする人)について同じように味わい、また「わからない」というところまでいってみましょう。

え~。
面倒…。

というのが最初の所感でした。

どうせ欠点や長所についていろんなことが出てくるんだよね。
でもそんなのどうでもいいよ。自分の性格なんて、よく判らないよ。
考えるのも面倒だよ。

ところがところが…!

「あなたはどんな人ですか?」
と問われた途端に出てきた声は、

「わたしは哀しむ人です」
という答えでした。

えっ。
哀しむ人ってなんのこと?

じっくりと味わってみます。
過去の体験がでてくるのかなと考えたのですが、ただ哀しんでいるよなあ、という実感だけが上がってきました。
中国の地震のこと。昨日感じたアトラスの重荷のこと。
今、感じている重だるい何か。などなど。
最初は明確だった哀しみが、ゆっくりと消えていきます。

もういいという合図をしました。
もう一度
「あなたはどんな人ですか?」
と尋ねてもらいました。

今度は、
「わたしは行動する人です」
という答えが出てきました。

何度も繰り返している間に出てきたのは、
「わたしは笑う人です」
「わたしは走る人です(走るってなんのことだ?(笑)」
「わたしは喜ぶ人です」
「わたしはサボる人です」

性格がどうとか、いい悪いの判断は何一つでてきません。
たいして何にも出てこないだろうと踏んでいたのに、次から次へといろんな言葉が湧いてきます。
すべてが何かを感じるとか、行動するとかいう現在形です。

そして最後に
「わたしは大地と繋がる人です」

足の裏から立ち上ってくる何かをじっくり味わっていると、今まで出てきたいろんな思いがすべて溶け合っていきます。
言葉が消えました。

部分ではない全体像、もうこうだとかああだとかいう特徴はどうでもよくなっています。
わたしはわたし、ただ存在するものという単純な実感だけに集約されていきます。

続いて、
「わたしはどういう人だと思いますか?」
という問いに移りました。

こちらもいろんな感覚が湧いてきます。
でも最後にたどり着いたのは、言葉では表現できないエネルギー体としての存在そのものの実感でした。
閉じた目の向こうに、脈動する力そのものを感じます。
その人がどういう人かというのはもう、まったく気にならないのです。

「わたし」と「あなた」が共鳴しあっているのを感じます。
それだけでいいのです。

…不思議なワークになりました。
シェアでは言わなかったことですが、かつて同級生の被験者としてロールシャッハテストをしたときに、何を言ったらいいのかさっぱり判らなくて、端っこの図形を捉えて思いついたことを述べていたら、薄痴という診断が下ったことを思い出しました。

今度もそういう答えが出るのだろうと思っていたら、出てきたのは今何を感じているかという実感だけでした。

何だか、凍り付いていたものが生き生きと動き出しているような気がします。
わたしは、わたしの感覚を追うことも味わうことももう怖くないんだなあ。

自分の欠点や長所にも何の関心もないんだなあ。
だって全部が一緒になってわたしだもん。

とても嬉しい驚きでした。

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