…とうとうやっちゃいました( ^ ^ゞ
マインドフルネスで、いろんなプローブ(言葉かけ)にどんな反応が出てくるか、じっくりと感じてみようというワークをしたのですが、気がついたらこっくり、こっくりと舟を漕いでいるじゃありませんか!
ワークの後にそれぞれの感想をシェアしあうのですが、もう正直に言っちゃいましたね。
「眠ってしまったので、どんなプローブだったのか、まったく記憶にありません!!」
ええ、笑われましたとも。
でもわたしだけじゃないもん、寝ちゃったの。
ひチャコさんの誘導があまりにも心地よくて、どんどん体が寛いで抵抗しきれなかったんだい!!
どんなに眠ってなくても、人前で寝落ちするなんてありえなかったのに。
リコミ、恐るべし。
さて今日面白かったのは、二人一組で目の前の人がいろんなポーズ(静止)をとった時に、どのポーズが一番気に懸かるだろう、どんな感じになるだろうというワーク。
目の前の人が立ち上がったり、背を向けたり、身体をひねったりするのをただ眺め、特に気になったポーズについてじっくりと自分の中におきる反応を確かめてみるのです。
驚きました。
嫌とかいいとか、怖いとか嬉しいとか、何らかの反応や過去の記憶が出てくると思ったのに(そして他の人のシェアではたしかにそういう話になったのに)、わたしは目の前の人が自分の近くでどんなポーズを取っていても、それに意味があるとは思えないのです。
最初に出てくるのは、軽い不思議感。
この人は何をしているんだろう?という疑問。
それから一応全身を見ようとしてみるんだけど、すぐに関心がなくなってしまう。
オブジェとか、植木とか、家具とか。
なんだかそういうものを見ているとしか思えないのです。
どうやらわたしは、近くにいる人を人として捕らえることができないみたい。
もっというと、自分に関係があるものだと思うことがどうしてもできないみたい。
対面して座っている人は、鏡に映った自分に見える。
横に立っている人は、圧迫感や威圧感を感じるのかと思いきや、ただのオブジェに見えてくる。
どんなポーズを取られても、オブジェにしか見えなくて、自分と関わりがあるものだとは思えない。
これが過去の自分の都合にまったく関心を持ってもらえなかったネグレクトの産物なのか、わたし自身の自閉症的個性のせいなのかというのは、ワークとは別の課題なので追求はしませんでしたが、こんなふうに感じていたんだなあ…とびっくりしました。
だから他人の気配に疎いのかもしれない。
誰かが注意を引こうと声をかけたりしない限り、何がおきているのか気がつかないのかもしれない。
人の顔を把握したり、動きを把握したりするのが苦手なのは、同じ人だと根本的なところで把握していないからなのかもしれない。
あ、もちろん頭の部分では反応しようと試みているので、日常生活ではここまで極端にはあらわれません。
だけどもそれは努力の産物なんですよね。
わたしってそうなんだなあ。
知らなかったよ。
じゃあ、どういうポーズなら反応が出るんだろう?
相手の方に、少し離れた斜め前方で背を向けてもらい、好きなことをしてもらいました。
わたしは後ろで立ち上がり、じっとその背中をおっています。
今度は出てきました。
どうして気がついてくれないの?
声をかけてもどうせ気付かないんだよね。
さほど深いものではないのですが、涙と怒りと悲しみとあきらめが浮かんできました。
これはかつての母の背中です。
まだ少し残っているものがあるんだなあ…。
でもお腹の反応じゃなくて、胸のもやもや。
だから苦しいとか、だから自分はいらないとかはもうありません。
残滓みたいなものなのかな。
でも、わたしは、わたしからアプローチをしようとしているときにだけ、相手の人が同じ人間だと思えるみたいです。
へえ~~~。
わたしってこうなんだ~。
(ちょっととんでもないな。でもそうだよな。)
あらまあ…ってな感じです。
ついでに昨日のワークも思い出しました。
真正面からにじり寄ってくる人を見たときに、何を感じるだろう?というワークをしたときに、シェアした仲間の中には嬉しさを感じた人もいたのですが、わたしが感じたのは、ものすごい警戒感と息をひそめて様子を伺う体の反応、そして近付かれたときの恐怖感。
ただし暴力ではありません。
わたしに何を要求したいの?
どうしてそれをわたしに求めるの?
わたしから何を奪っていこうというの?
こういう恐怖です。
この二つは繋がっている気がしますね。
どういう理由かは判らないけれども、モノとしか思っていないものが自分のテリトリーに侵入して目線を合わせてきたら、それは怖いでしょう。
自分自身がどうしたいか、には関心をもたれずに、ただ相手の都合で要求をされるのは、怖くなっても仕方がないでしょう。
う~ん、家族という関係性がさっぱり理解できていないとは感じていたけど、人と人との関係性もさっぱり判っていなかったのかもしれません。
原因が、自分にあるのか、親にあるのか、双方にあるのかはともかくとして、これもわたしの中の大事な部分なんだなあとあらためて感じさせてくれたワークでした。
なんだか、自分で自分を知らないことってたくさんあるんだね。
面白いね。
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