47.最後のお別れ

ひチャコさんにセッションしてもらいました。

先週のいろいろな重たいもの。
でも嫌なものではないもの。
だけど、抱えていると「今」の感覚が日没間際の光くらいに弱まってしまって元気がなくなるもの。
あれをきちんと外に出してやりたくて。

ひチャコさんが前に座ってくれているだけで、わたしは母と対面できます。

「4年前に母がなくなったときに生まれた哀しみがあるんですけど、その後すぐPTSDの発作に入っちゃったから、凍りついたままなんです。憎しみを手放すのは簡単だったし(その課程はものすごく大変だったけど)、恨みを手放すのも惜しくなかった……でも。」

ちいさく縮こまって、喉を引き絞りました。

「おかあさん、死んじゃったよー!!」
「もういないよー!!!」

涙はほとんど出ません。
ただ、小さな、喉がつまったような、言葉にならない叫びが、いつまでも続きます。

わたしの中に、本気の思いを注いだ時間の記憶があるんです。
どんな人でも、何をしてくれなくても、ろくでなしの息子や娘に急死された後の親のような、過去の愛情が残っている。

亡き人を偲ぶことは、世間では美しいことのように思われがちだけど、そしてわたしも自分を傷つける厄介なものだとは思わなかったから、そのままにしてしまっていたけど、更新されない愛情はくさる。くさってただの執着となる。今を疎外する。

「なにかしてほしいことはあるかな…」
ひチャコさんが、静かに聞いてくれました。
「なにもない…」

だって、相手そのものを惜しんでいるんじゃないもの。

この哀しみを普通の人に言葉で伝えるのは至難の業。
共感してもらうのはもっと難しい。
生身の人間を惜しんでいるわけじゃないから。
親がなくなったことが哀しいんじゃない。
生きてて欲しかったなんて、まったく考えてない。
会いたくもない。
でも。

なくなったことを認めたくない執着や、過去の本気の思いの時間が、壊れた世界の欠片が残っている。

でもそれ、もういらないから。
わたしは「今」に生きたいから。

…叫び続けて、疲れて静かになって、また叫んで……。

やっと、もういないんだ、ということが腹の底まで降りてきました。
頭ではわかっていたし、心でもわかっていた。
でも身体は納得していなかった。

…やっと、手放せました。

「初めて声を上げて泣いた」
と言うと、ひチャコさんが驚いていました。
もっと叫んでいいのに、と思っていたんだとか。
押し殺したように泣くから、がまんしないでいいよって思っていたとか。
いや、充分に叫んでますって( ^ ^ゞ

今までも号泣って書いてきたけど、わたしのは単なる滂沱の涙で、声はでなかったんですよね。
今回のは遺体に取りすがって泣く遺族の涙。
全然違う。

そして、哀しいんだなあというところまでは一人でもたどり着けるけど、一人ではけして泣けない。
ひチャコさんがよりそってくれて、はじめて出せた本気の叫び声。

だって、4年も前の話だよ。
一人では馬鹿らしくなってやれません。

ふっと声が上がってきました。
「さよなら」

ひチャコさんが応えてくれました。
「さよなら」

「またね」

「またね」

ん?
ちょっとなんだか抵抗があります。
少し待ったら、次の声が出てきました。

「…気が向いたらね」

爆笑。
もう、あんな人の相手をするのはごめんだわ。
気が向いたらね。
そうでなければ、もう嫌だよ。

…ようやく4年前と時間が繋がったような気がします。
凍り付いていたものが溶けて流れはじめた感じです。

ps.叫びながら内心で、『タッチ』の南ちゃんみたいだ…と思っていたのはひチャコさんには内緒です。

コメント