「くまくん、ことりはもうかえってこないんだ。つらいだろうけど、わすれなくちゃ」
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『くまとやまねこ』河出書房新社 より
くまはことりの死体を大切に箱にしまって持ち歩きます。
その大事なものはなあに? 見せてと言われて中を見せると、みんなが眉をひそめて、立ち去ってしまいます。
そうしてくまは部屋に閉じこもり・・・。
大切な誰かや、何かを失ったことのある人のための絵本です。
静かな再ブームが起きています。
「つらいだろうけど、わすれなきゃ」
そう言われても、やっぱり忘れられないものは忘れられないのです。
言われるとよけいに苦しいのです。
立ち直れない自分が情けなくて、これじゃいけないと思って、でもどうしようもなくて、閉じこもることしかできなくなるのです。
対象は死者の場合もあるでしょう。
古い傷口のこともあるでしょう。
世間的には他愛もないと言われるこだわりのこともあるでしょう。
でも本人にとっては世界の終わりにも思えるもの。
世間の同情は半年間。
『証拠』ディック・フランシス 早川書房
妻を亡くしたことから立ち直れない男は、半年たったら外では笑わなければなりません。
「社会生活では苦しみを表に出す事は許されない。人は涙を見せないことになっている。・・・妻が亡くなって半年たち、周りのものすべての哀悼の念が消えて久しい場合はなおさらである。
ま、仕方がない、と皆が言う。――彼もそのうちに気を取り直すだろう。…時がすべてを治療してくれるはずだ。…
だが、この惨めな気持ちはどうにもならない・・・…耐えることを知らない苦悩が六ヶ月も続くと、今のこの瞬間自分が死んでもたいした損失ではないような気がする。自分の半分はすでに消えてしまった。・・・残されたものはひたすら苦しみ・・・・・・正常を装っている。」
時が解決してくれるというのは幻想です。
もちろん時が癒してくれるものもあります。
でも根幹に関わる喪失体験は、時に何年たっても退色してくれないこともあるのです。
家に鍵をかけて閉じこもっていたくまは、あるときやまねこに出会って、ことりがどれほど大切な友だちだったのかということに、深い共感をもらいます。
同情とは違うんだな。
同情は、あなたの痛みをわたしは受け取りましたという、状況への頭での理解。
でも同情されるとよけいに怒りや悲しみが増すこともありますね。
でもわからないんでしょう?
そう虚しくなることがあります。
他者からの好意の言葉を素直に受け取れないことがいっそう苦しくなることがあります。
「立ち直って」と言われるたびに、今の状態を責められている気持ちがわいてきます。
共感は違うものですね。
立ち直りも成長も求めない。
ただそのままの相手を受け止めること。
自分の現状を肯定できること。
それだけで癒えていくものがあります。
喜びや嬉しさが、新しく育ち始めることがあります。
今は、なんだか生きているのっておもしろいことだったんだなあ、としみじみ感じられるようになっていますが、本を読みながらあらためて感じたのは、わたしのなかに生まれた喪失は、そのまま残っているんだな、ということ。
それはそれでいいんだということ。
回復って元通りになることじゃないよね。
(これはお嬢を見ていると日々感じます( ^ ^ゞ )
幸福って、一点の影もないことじゃないよね。
一日中笑っていることじゃないよね。
静かな、静かな絵本です。
絵は酒井駒子さん。
この方の絵にはなんとも言えない凄みがあります。
きっと今なら店頭に並んでいると思うので、機会がありましたらどうぞ
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