50.家族自閉症

嵐のような二日間でした。

人と人との繋がりが実感できないのが、ある種の自閉症だとしたら、わたしは、家族という枠組みの繋がりが実感できない家族自閉症なんだろうと思います。

最終日の最後に、歌の上手い方が沖縄の子守唄をアカペラで歌われたのですが、子守唄を音楽として楽しむのではなく、歌われる側の子ども
の立場で聞いたとき、絶望的な悲しみと拒否反応が出ました。

参加者の多くが涙を流していていました。

きっと心に染みとおる歌声を丹田で受け止めるときには、ほとんどの人が(どんな暖かい家庭に生まれ育とうとも)持っている、歓迎も肯定もされずに生き延びてきた子どもの部分がうずくのだろうと類推しながら、涙も出ない、いてついた怒りに圧倒されていました。

慰撫の声に身をゆだねること、理想の形として受け止めること、欲しかったものだと感じること、そのどれもがわたしにはありえない。

だって、理解できないんだもの。

ある人が、「子どもっていいなあ」とつぶやかれたときにも、凄まじい否定的な感情と涙がこみ上げてきました。

親ってなに?
子どもってなに?
子どもがいいなんて、一度も感じたことないよ。

これは、我が家が崩壊していたから、という苦しみではないのです。

外国語を頭で理解して使っていて、その国に暮らしてみたら、どうしても越えられない暗黙の了解にぶちあたった、というような感覚。

その国に溶け込む努力はするけど、ルーツは変えられない。そこを変えたらもはや自分がなりたたない、そういうレベルの違和感。

みんな、家族という共同体があるってことを、肌で感じてるんだね。
共同幻想として、幸せな子どもっていうイメージがあるんだね。

いいことも悪いこともあるけど、
たとえば、自分の親はこの人だとか、
親が子に、子が親に感じる、関係性のなかの情があることを、
疑う余地もなく知っているんだね。

団欒って面倒だなあ、うっとうしいなあ、と
感じる人はたくさんあるのだろうと思うのです。

でもそれって、こういうことかな、と頭で理解して真似して、でも一生この違和感はぬぐえない、だって本当に判らないんだもの、それがどういうものなのか、存在しうるのか、という違和感ではないんだろうとも思うのです。

わたしは子どもという存在を生きなおして、自分を生きることの楽しさ、自分と世界が繋がっていることの楽しさは発見できたけど、家族という連帯については、一生理解できないんだろうと感じています。

感じられる人を羨ましいと思う。
でも本当に判らない。

施設育ちの子どもの感覚なのかな、とも思ったり。
世話人はいる。
衣食住の面倒は見てもらっている。
一緒には暮らせないけど、親だっているのかもしれない。

でも暮らしたことがないから、特別な意義がわからない。

・・・両親はいたんだけど。
・・・兄弟もいたんだけど。

でも、有機的な繋がりや親和性は、あるいは共同生活の実感は、どこにもなかったなあ。

抱きしめられたら気持ちいいの?
守られたら気持ちいいの?

ふうん、そうなんだ。

きちんと抱きしめられたことがないから、甘えたことがないから、それがほしい。

へえ、そういうものなんだ。

家族の中の、子どもって、そういう立場なんだ。
世界にはそんなものがあるんだねえ。

でも文化圏が違うよね。

今の家族が好きだ。
わたしと旦那。
わたしと義母。
わたしと義妹。

個別に関係をつくりたい。

でも一緒に何かができるとか、何かがそこに生まれるとはどうしても思えない。

・・・頭ではいろいろわかってるんだけどね。
でも実感はないなあ。

文化圏が違うから、現状なかなかいろいろと難しい。

病んだ家族関係の中で、つくってきた本質があって、それはどんなにいびつでもわたしそのものだから、変えようとして変えられるものではないし、変えたいとも思わない。

そういうことをいろいろ感じてきました。

痛みも苦しみも悲しみも、この本質に関わるところならば、これはこのままでいいんだとしか言えません。

自分を生きる苦しみは、自分を失う苦しみに比べればはるかにまし。
状況は変われど、誰もが自分で背負っていくしかないもの。
(病気とか、差別とか、さまざまなものがあるだろうけど)

でも嘘はつけない。
偽者にもなれない。

それにしても凄まじい隔絶が、たしかにある。
事実として。

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