54.あなたの愛なんか認めない

遅ればせながら、セッション報告です。
一対一ではなく、ワークショップの中で、有志が見守ってくれるところでやりました。

あれから5年がたちました。
最近は両親の柔らかな記憶が少しずつ出てくるようになっていたのですが、3月に入った頃から、記念日ショックなのか、毎日侵入的回想に悩まされていました。
父母が争い、父親が暴力を振るい始めたときに、わたしが介入して、母に逃げろというシーンです。
母は後ろも見ずに一目散に逃げていきます。
残されたわたしが父親と対決します。
いつも。

命が己の命を一番に大切にすること、その意味をわたし自身が感じるようになって、見捨てられた痛み自体は消えました。
親や他人が助けてくれなくても、誰でも自分で自分を大切にできる。
誰も教えてくれなくても、どんな年からでも自分を大切にすることは始められる。

でも。
逃げていく母の後姿を思い出すと、いてついた氷の槍が丹田につきささるのです。

母にも母自身を一番に救う権利がある。
当然のことだ。

でもなぜ振り返りもしない。
なぜ、帰ってきて一言もその後のわたしのことを知ろうとしない。
ただ泣いて慰められて眠る、その人が語る愛情っていったいなんなんだ。

そう。
問題は捨てられたわたしの痛みではなくて。
どうしても母からの愛情を受け取れない、信じられない、その違和感なのでした。
柔らかな記憶の回復とともに思い出されてきた、母のおずおずとした好意の眼差しなのでした。

わたしは認めないよ。
あなたの思いの一切をわたしは認めない。
だってあなたは何一つ、ただ子どもを見ることさえできなかったじゃない。

マインドフルネスになって、セッションを開始し、回想を語っていくうちに出てきたのは、
「・・・でも、あなたがわたしに愛しているという気持ちを届かせたいなら、いつも逃げてたあなたはいったい何がしたかったの?
 争いを代行させて逃げてばかりいたくせに。あなたがあるっていいたい関係は何? それをわたしに判るように見せて。……人と人が繋がっていく。そういうものがあるなら、わたしはそれを感じたい。
やり直していいから、本当にやりたかったことがあるなら、それを見せて。
わたしは何度でも逃げろって言う。本気で言う。逃げる以外にできることがあるなら、今それをしてみせて」

「一人では立てるけど・・・自分からなら人と繋がれるけど…親子の情が在ることがどうしても信じられない。だって逃げる親だっているじゃん」

郁恵さんが言葉をかけてくれてますが、まったく頭に入ってきません。
わたしは泣いています。
本当は寄りかかりたい。寄りかかれるものがあると信じたい。でも寄りかかったらつぶれてしまう。そんな関わりしかしらない。
やり直していいと言い、誰かがプレイ・セラピーのように、当時の両親を再現して本当はしたかった別の行動を見せてくれたら納得できるんじゃないかと、頭は予測を立てていました。
が、そんなものは無理だとお腹が言います。
そんなことを思いつくような親じゃない。できる人たちじゃない。

幼子の安心感ってなんだ?
緊張の中にを支え、親を支え、他人の支えを信じない、結局そのどうどうめぐりから一歩もでられないわたしがいます。

にもかかわらず。
泣いて泣いて、泣きつくした後に、ふっと感じるものがありました。

……ああ、わたし、知ってるわ。
笑いがこみ上げてきました。
「…なんでそれでも親に愛されてるの、知ってるのかなあ? 何の役にも立ってないのに。――ー全然役に立たないよ。何一つしてくれない。でも愛情があるって知ってるから、ないって言えない」

びっくりです。
ない、ない、ないって言いたいんだと思っていたのに、あるよって自分から言い出してしまったのです。

「記憶を上書きしたいのかと思っていたけど、でもどうやっても無理。――どうやってもあの人は逃げる。あの時限りの話じゃないよ。逃げていいよって言ったら、本気で逃げるよ。もうしょうがないなあ・・・・・・」
苦笑いです。
「・・・何か、奇麗なものがでてくるかと思ったけど、何にもでてこない。でも、それでもある。良さげなものじゃないけど・・・・・・執着とか、血縁とか、思い込みとかいろんなものがからんでるものだけど・・・・・・でも、ある」
「やっぱり、寄りかかる気にはまったくならないけど、今はもう丹田が冷たくないから、もういいや」

親の情なんかない、と頭も意識も思っていました。
でもお腹はあるって言うんですねえ。
認められないと騒いでいたのは上の方で、無意識は何かを受け取っていたらしいです。
判りやすい親らしさじゃないし、頼ったり信じたりできるものでもないけど、何かがあるらしいです。

同席していた人たちに聞いてみたくなりました。
「あなただったら、わたしの母の立場で、子どもに逃げろって言われてどうしますか? 殴りかかる父親の前で、守ってほしいんじゃない。守られて親が傷つくのを見るくらいなら、絶対に逃げてほしい。その時、あなたはどうしますか?」

いろんな答えがありました。

「子どもに手を合わせて詫びて逃げる。帰ってから子どもを抱きしめて泣く」
マインドフルネスで受け止めます。
帰ってから、何がおきたかを認めてもらえたら、逃げてもいい。逃げながら振り返ってもらえるんだったら、それだけでいい。

「死にものぐるいで、歯向かって子どもを守る」
 ちょっと、嫌な感じ。
「勝てる?」
「わからない、惨めな姿をさらすかも……」
 ・・・それはとても嫌。
「しょうがない。それなら逃がしてやるわ」
「帰ったら子どものそばにいる。黙って」

「子どもと一緒に逃げる」
「子どもの手を引いて逃げる」
「子どもが逃げたのを確認して自分も逃げる」

「馬鹿者!お前も逃げんか!!」
そう言った人もいました。
「帰って、お前が怪我をしていたら怒る」
ぶわっと泣けてきました。
「……怪我したら気がつくんだ」
自分が逃げることなんて、まったく思いつかなかった小さなわたしが、ええ?そんなのあり!?とびっくりしています。
かつ、自分の心配をされる可能性があったことにも気付いて切なくなってます。
「こっそり迎え入れて、慰めて寝かしつけて……親が自分のことでいっぱいいっぱいで泣いているから、慰めないと……わたしのことに関心を向けるなんてありえないよ」

「自分が親だってことも忘れて、自分のことだけになるのかも」
そう言った人もいました。
中国残留孤児のいきさつの実話なども出て、
「本当に追い詰められたら・・・愛しているとかいないとかそういうことではなくて…・・・見捨てて逃げて……帰ってからも呆然と、何にもわからない状況かも」

聞いているうちに、わたしの中にあった頑ななコア・ビリーフが溶けていきました。

「親は子どもを守ってなんぼ。」
そういう思い込みが、わたしを苦しめていたみたいです。

「守れないときもあるし、守れない親もいる。
守られなかった辛さは、自分が自分を守ればいいってことでおさまりがついていたけど、そういう人から寄せられる愛情を受け取りたくない気持ちが今日まであって、でもありなんだよなあ。
…ああ、逃げちゃうけど、振り返るんだ、とかバリエーションを聞いていたらなんでもありだわ。
火事で子どもが梁に足を挟まれて助けられない・・・自分だけ助かるってありだよね」

 ……多分、一番のポイントは、その後『何もなかった』ことになってしまったこと。事件の前まで何もなくて、最中はわけがわからなくて、終わったとたんに何もなかったことになる・・・・・・すべてがなかったこととして、誰も語らないで押し殺されていく。
感じたことも、何もかも消えていく。生身の親でいいよって思ったって、親自身がそういう姿を見たくないから、認めない。感じることの一切が否定される、それが一番きつかったのでしょう。

親が愛しているって言ったなら、聞くだけは聞いてやろうじゃないかという気持ちになりました。
そんなものがあるなんて、一切認めないというのがセッション前の意識だったのですが、ほんっとうに役に立たなくても、望むものじゃなくても、やっぱりあるものはあるし、それを感じているんだなあ・・・・・・。
感じているからよけいに、釈然としない思いが募っていたのでしょうが、誰も救えない、役に立たない愛情があってもいいんじゃないかと、今はそう感じています。

なりゆきのライブセッションだったけど、参加してくださった方、ありがとうハート達(複数ハート)

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