新しい神話が産まれるとき

先日フィニッシュを迎えた養成講座の中で、まさかの大トリ大まな板(業界用語^^;)を体験しました。

父性の欠如について
深い気づきと関係性の結び直しがあり、呼吸がさらに楽になったのだけど、なぜ今それが浮上してきたのだろう…?ということについて、ちょっと考えてみました。

過去の体験が何かのマイナスの原因になっていると思える時。

本当はそれは原因ではない。

先に現実の中で、気になること、超えたいことがうっすらと見えて来ている。

何かのきっかけで、あれが原因では、と考える。

それを原因とする新しい神話が産まれる。

二項対立の構造(得られなかった体験。生きてこなかった自分の一部、超えられない壁)が明確に見えてくる。

何らかの形でその対立が昇華されたとき、現実の中で得たいと感じていた部分や資質が、自然に自分の中に統合される。

…時々まだこんなことに引っかかっているのかと感じたりもするけれど、本当はその瞬間まで傷やこだわりはないんじゃないかな~。
(過去からどうしても抜けられない苦しみの時期は別として)

先に現在のもやもやや、新しく得たい資質があり、それを取り込むルートとして、過去の体験から神話や例題を作り出す。

だから傷だと思える記憶そのものには意味はないんだけど、自分が作ったストーリーには、現時点での自分が統合するためのルートが最初から組み込まれていて、自分にとってものすごく意味がある。

何かから抜けられない、捕らわれていると思った時点で、その問いかけの中にすでに答はある。

セラピーは神話発見(もやもやしている段階では、自分にとって必要なストーリーはまだできていない)とその完成、フレームシフトのためのひとつのルート。

神話によらないルートももちろんある。

神話の魅力は強力さダイナミックさ。

まだ捕らわれがあると落ち込む必要は全然なく、一生新しい捕らわれに出会い続けてもいい。(そのルートを取らなくてもいいけど)

先に答があり、答に至る問いが産まれる。形にならない様々な問いかけのひとつに焦点が当たることによって。

だから何度も同じ体験が浮上してくることがある。

お試しのように、現実にうまくいかない体験をする。

でも光の当て方はその都度違う。

…そういうことだったのかなあ。

過去への視点は、寓話・神話・物語として、意識できないものも取り込むひとつのシステムなんだなあと感じた次第です。

コメント