58.扉の外の大きな岩

『癒しへの旅』という本があります。
http://www.e-hon.ne.jp/bec/SA/Detail?refShinCode=0100000000000031895268&Action_id=121&Sza_id=C0
紹介されて読んだのですが(紹介されなかったら、けして手に取らなかったと思いますたらーっ(汗)。「癒し」ってどこか胡散臭いと思っちゃうのはわたしだけかな~? 原題はただの「旅」)、後半のスクリプトが実に面白かったので、セルフワーク&希望者を募って電話セッションをしました。

セルフワークのネタは思春期の、父親の下の介護をめぐるあれこれ。

どんなに今は自分自身にOKを出していても、
当時親たちが、彼らなりに最善を尽くしていたのだと理解していても、

父親から、娘だということを完全に忘れられてしまったこと
その人の介護をしなければならない苦痛
うまくできないことへの自責
母親からそれを責められることへの怒りと悲しみ
それまでの家庭崩壊のあれこれ
原家族が誰だかわからない自分自身への否定的感情
セクシャル・アビュースをめぐるセクシャリティの混乱

そういうものが一体となって、小さな黒い影が残っていたのです。
こればかりは一生抱えていくしかないのかなあ…。
面倒くさいなあ(もうたいした問題じゃないんだけど)
と感じていたのと、

リコミでたくさん学んでどんどん変わってきた人の中にも、
どこかで一歩を踏み出し切れない自分、
同じ問題にめぐり合ってしまう自分、
根源的な安心感にどうしてもたどり着けない自分、
に戸惑っている方などがいて、
これは何かなあと常々考えていたのがシンクロして、
本が実に面白かったのですね。

もしかしたら、根深いトラウマは、自分の中の生きる力を体感して、なんだわたしって大丈夫なんだと感じるだけでは足りないのかもしれません。
世界に祝福された自分を感じるだけでは足りないのかもしれません。

本のスクリプトはこんな感じ。

1.感情の層を一枚一枚めくっていって、根源までいったんいきましょう。
(根源とは、彼我の区別がなくなるところ、暖かく明るい世界の中の自分の更にその先の、広大無辺のすべてが渾然一体となったところ)

2.それから、根源の感覚をまとったまま、一つ前の層、もう一つ前の層へ戻ってきながらそれぞれの層に根源の感覚から声を掛けてみましょう。

3.どこかの層で具体的な人物が出てくるシーンがあれば、当時の当事者たち、今この瞬間の自分、そして信頼できるメンター(人でも、空想上の人物でも、神でもなんでも)と、キャンプファイアーを囲んでその当時言いたかったことを語りつくしましょう。そして返答をもらいましょう。完全にすべてを許せるところまで。

4.更に現在まで感情の層をさかのぼり、一ヵ月後、半年後、5年後、10年後と根源の感覚をまとったまま空想し、未来の自分から今現在への自分へのアドバイスをもらいましょう。

という展開。

非常にスピリチュアルな匂いがしますが、誰でもできます。
根源の感覚を味わったことがあれば1人でも可能です。
キーポイントは、どんなトラウマが出てきてもいったん、「根源までいっちゃう」ことと、「帰り道」にトラウマの中の当事者を魂の底から完全に「許す」こと。

わたしに足りなかったのはこの許し、でしたね。
相手が最善を尽くしていたことを認めるのと、許すことは別問題なんだなあ・・・。

根源の感覚自体は、子どものころからしょっちゅう世界と一体になって我を忘れていたので(みんな忘れているかもしれないけど、これってよくあることだと思うよ…)、とにかくいったんあそこまでいけばいいんだな、と。

具体的な展開はこんな感じ。

今気になっている感情を、増幅します。

わたしの場合は、肺の中の寂しさ。

いっぱいに感じていると、寂しさの下から悲しみがでてきます。

それも膨らませていると、怒りが湧いてきて、具体的な介護エピソードが出てきました。当事者は、父、母、わたし。
ここでふっとイメージの大きな岩が登場。

なんだかよく判らなくなって少し停滞。
どうしてこんなものが出てきたのか、感情が何なのか理解できません。
岩が消えません。
(通常はこの辺で真っ黒いイメージとか恐怖とか、これ以上先にいけない感じとかがでてくるらしい)

仕方がないので、ただ岩になります。
扉の外にある邪魔な大きな岩です。
動けない、かたくなな、黙って耐えている塊のイメージをいっぱいに感じているうちに、自然に岩がさらさらと崩れていきます。

崩れて溶けて一面の輝く砂に。
そのすべてが自分だし、その一粒一粒が人です。
(根源は宇宙とか空とか、静けさとか世界とか、とにかく広い何かのイメージになることが多いみたいです)

そのままの感覚で戻ってきます。
ほどけていく自分に声を掛けます。(忘れたけどたらーっ(汗)
かたくなな岩に声を掛けます。
介護のイメージの場面では、キャンプファイアーを囲んで、母親に当時のいえなかった感情を訴えます。
辛さとか苦しさとか、もろもろを。

ところがここで緊急事態発生。
イメージの中の母親が顔を背けてどうしても言葉を受け取ってくれません。
実は、わたしの母はたいへん心幼い人で、自分自身がいつも怖くていっぱいいっぱいだから、人の言葉を受け止める余裕はないんですね~。
「許す」どころか、聞いてもらうこともできません。
さあ、困った。

煮詰まってどうしようもなくなったところで、メンターが声をかけてきました。
(どうしても具体的なイメージをつくれなかったので、とりあえず「メンター」という書き割りを置いておいたのですが、その書き割りが言葉をかけてきました)
「本当に聞きたいことは何?」

当時のわたしがまったく違うことを言い出しました。
「お母さんはそんなにわたしのことが嫌いなの?」
ええ? なんだ、これ。
今のわたしがびっくりしています。
「そんなに」って、ただの嫌いじゃなくて「そんなに嫌い」って感じていたの!? あの頃。

イメージの母が瞬時にこちらを向いて言いました。
「そんなこと、あるわけないじゃない」
魂の底からの、微塵もためらいのない声でした。

それを聞いた途端に当時のわたしのこだわりがすべてほどけてしまいました。
「許す」必要もないくらい、許すことは簡単でした。
消えないと思っていた、黒い影はもうどこにも残っていませんでした。

また感情の層をさかのぼりながら、根源の感覚のままにそれぞれの層に声を掛けます。

本当は未来まで行くんだけど、あまりに満足できたので現在時点でいったん終了。

当時の痛みを判ってほしいとか、伝わらなかったとか、そういうことが影の正体じゃなかったんですねえ・・・。

扉の外の大きな岩は、家の人にとってとことん邪魔なもの。
(避けることも、無視することもできない)
そして無縁のもの。
(世界は扉の内側にあって、永遠に疎外されるもの)
ただ黙って状況に耐えるしかないもの。
(岩だから、声も手足もない)

どれだけ自己疎外していたんだろう、当時…。
トラウマだのフラッシュバックだのだと、当時の状況だけがぐるぐる何度も出てくるわけですが、それまでにつもりつもったものが噴き出しているだけで、その具体的なエピソード自体はたいした問題じゃなかったんだなあ。

だって、顔を忘れた父親のことは、あれは頭の病気だから仕方がないってあっさり納得してんだもん。

いろんな手法があって、それぞれにそれぞれの価値があるわけですが、
この本のキモは、とにかくすべてが渾然一体となってしまうところまでいったん行ってしまいましょうということですね。

自己肯定(現実の状況下では自己否定感が出てくる)
世界から祝福されている自分を感じる(現実に否定される状況が起きたときに対処できない)

全部一体。一体のまま戻ってくる。(アンチテーゼが出てこない)

あと、帰り道に問題に踏み込むということ。
行きにやると迷子になることがあるからな~。
根深いトラウマだと、その周りをぐるぐるして抜け出せないことがよくあります。
そしてトラウマ自体、いろいろなものが複合していて氷山の頂上みたいなものだから、単体でそれだけ対処しても、また出てくることがある。
トラウマはただの切り口なんだな。
「許す」というのは、その切り口の奥にある大元の何かが出てきたときに初めて可能なことなのかもしれません。

いや~、面白かったです。

電話セッションは相手の方へ守秘義務があるので内緒ですが、これもむちゃくちゃ面白かった~~~。

またやりたいなハート達(複数ハート)

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