恨みが消えないのは、どこかで自分を見捨てたから

普段、ゆるっと毎日を送っているわたしですが、何かをしようとしたときに、
ちくっと過去の痛みにひっかかることがあります。

それはもうPTSDの発作の時のような生々しい感触ではないのですが、

例えば、母を父の暴力からかばって逃がした時の、

毎日、父の点滴の世話をしていた時の、

腹の中が真っ黒になるような絶望と怒りとあきらめの未来がない感覚。

今、心が痛むのは、自分が誰かに過剰に何かをしようとしてしまった時。


心が痛むのは、自分が自分の感覚や感情を切り捨てたから


わたしたちは、通常、誰かが何かをしてくれなかったと思って相手を恨むわけですが、
本当に心が痛いのは、相手の無理難題に自分が合意して、
自分の感覚や望みを切り捨ててしまったことなのだと思います。

心を観るのに内観という方法がありますね。
「してもらったこと」「してあげたこと」などを時間をかけて振り返ります。
その時に、「してあげたこと」の中に「いやいやしたこと」が混ざってくると、混乱と痛みが深くなります。

「いやいやしたこと」「してあげたこと」ではありませんね。
わたしが、わたしを捨てたところです。

こうしないと危険だ、と感じたから。
こうしろと命令されたから。

わたし自身が本当は守ってほしいけど!!
わたしは全然やりたくないけど!!

自分の感覚や望みを捨てて合意してしまったところ、相手のせいにしてしまったところがいつまでも痛む。
わたしは奴隷で、なんの自由も権利もありませんと、自分を自分で決めちゃったところ。

もちろんその時期は、それが子どもの思いつく最善だったんです。このことを責めちゃダメ。

痛みの記憶が消えないときは、

それが当時の最善だったこと、それでも今でも痛むんだね、と認めながら、

自分に傷をつけた相手ではなく、

自分がしたことが「してあげたこと」なのか、「いやいやしたこと」なのかを振り返るといいんじゃないのかな。
したいことといやいやしたこと

「いやいやしたこと」のときは、「したいこと」「欲しいもの」は何なのか、考えてみよう。

気付いている「したいこと」は、
例えば、母より先にわたしが逃げたかった、母に守って欲しかった、父の世話をしたくなかったといった、その時叶わなかったこと。

その奥に、もしそれが叶ったら手に入ったはずの「欲しいもの」があります。
それを大人の自分が、当時の子どもの自分に与えてみよう。

わたしは安全が欲しかったし、自由が欲しかった。

ので、今安全なところで、

騒いでいる当時の子どもに、

あったかさや明るさや、人との繋がりを大人として体験しながら、

嫌だ嫌だ~!!と 暴れていいよと、大人の身体を貸してあげます。じっさいにじたばたと暴れてみます。

こうやって過去の混乱が、身体的、感情的、精神的、エネルギー的に潜在意識から顕在意識に理解が上がってくると、

大人として今、誰かに何かをしようとして、ちくっと抵抗を感じたときに、

ああ、今嫌なんだな、やりたくないんだな、とすっと感じられるので、

じゃあ、どうする?

と自分で決めることができます。

じゃあ、どうする?

本当の望みはこれだけ。
安全な中で、自由に決めること。
目の前の現象はただのきっかけにすぎません。

自分の中にやりたいもある。やりたくないもある。
葛藤の中で、クリーンに(他人の都合や状況は関係なく)

じゃあ、どうする? 何を決めてもいいよ。

と自分に問うとき、どんな結論でも「したいこと」と繋がれる。
繋がったその下には「欲しいもの」がある。

欲しい未来は、「欲しいもの」を今、自分に与えることからうまれるんです。

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