新しい体験と得られなかった体験③

「新しい体験と得られなかった体験②」の続きです。

「得られなかった体験は取り戻せる」と体験系のセラピーでは言いますが、
それが受け入れられないとき、何がおきているのか。
①では3歳以前の誤解について取り上げました。

②ではニーズの誤解~本当の望みは何?~について取り上げました。
誰かにこうして欲しいの奥にある、幹の部分に焦点を合わせることが必要ですよ、
葉っぱの部分に焦点を合わせたまま癒し体験をしても、人生の大変さは変わらないんですよ、と。

そうはいってもなかなかそんな風にできないよ。
こうしてほしい、こうあって欲しいと暴れる気持ちをどうしたらいいかわからない。辛くて辛くてどうしようもない。

じゃあどうすればいい?
自分の主になることです。

③は権威の課題について書いてみようと思っています。

③権威の課題・・・わたしの人生はどうにもならない、自分のものだとは思えない、自分が何を感じているかなんてどうでもいいと感じる場合

 何かに対して苦しんでいるときって、実は現実をちっとも認めても感じてもいないんですね。

 怖いから一人になれるところへ行こう(ロウアースキゾ)
 どうして分かってもらえないの、しくしく(ロウアーオーラル)
 みんな勝手なことばかり ああうんざり でもやらなきゃ(ロウアーマゾ)
 こんなのおかしい。人を動かして何とかしなくちゃ(ロウアーサイコ)
 世間や親の言うことは守らなきゃだめだ(ロウアーリジット)
 
「その時の現実をただ、それが起きていたんだ、と認めたらどうなるの? 何を感じていたのかしら?」

・・・いやいや、それを見るくらいなら死んだほうがまし、です。
身体や気持ちや思考をいろんな形で現実から逃がすことでやっと生き延びたのですから。

・・・その時は。

でも、それが起きたのは今じゃないよね。

「自分はもう大人だよね? 今なら子どもの頃できなかったことも考え付かなかったこともできるよね?」

子どもにとってはすごく認めたくないし耐えられなかった当時の現実を、
それは子どもにはどうにもできないことなんだよ、と大人としての俯瞰した視野を入れ、
要求の奥にあるものに、気付いたり感じたりしても大丈夫だよと内なる子どもに伝えて支えると、
未昇華な部分が思いっきり暴れることができる。
暴れる≒感じること。 
まずは感じる自分に繋がること。
感じてもいいと自分に許し、暴れ終わると、身体から悪魔のような衝動が抜けているので、ようやく新しい体験を受けいれることができる。

でもまあ、強力なんですわ。イメージの中の過去の癒されていない子どもって。
過去の中だけで暴れるだけじゃなく、今の人間関係の中にしょっちゅう顔を出す。

だから

実は、大人としての自分を育てていないと未昇華な部分を支えきれない。
権威の課題です。わたしの主はわたし自身と認める。親からは望むようにケアしてもらえなかったという事実を認める。
親なりに最善は尽くしていたと認める。親も人間だから限界があると認める。
それでもわたしはいまだに苦しいし満たされないと認める。
このままでいると今の現実も苦しいと認める。

でももう自分は子どもじゃないよね。
だからそこは大人として、自分で自分を癒すよ、と内なる子どもに宣言する。

権威の課題って実はシンプル。わたしを癒すのはわたし。わたしの人生を生きるのはわたし、と決めるだけ。

そうはいっても、一番苦しいところで自分を保つのは大変だから外にサポートを求める。
求めていいんです。むしろ求めたほうがいいんです。外にサポートを求められるのが大人としての自分への愛や優しさ、本物の権威だから。

いまなお暴れる内なる子ども(暴れる子どもイメージ)に対して一人でがんばって、
支えきれなくて見捨てたり、怒ったり、放置したり、言うことを無理やり聞かせたり、正しいことを教えたりするのではなくて、
ただそこで誰かの助けを借りて内なる子どもと共にいて、かつて本当に欲しかったものを体験させる。

つまり、

A接触

ではなくて、

B接触

               
だと思うわけです。

「得られなかった体験は取り戻せる」
よりも
「新しい体験を今、自分が大人として内なる子どもに届けることはできる」

が正確だとわたしは感じています。
親(誰か)からこれをもらいたいという依存的・要求的な視点ではなく、
わたしが欲しいものを最善を尽くしてわたしに届ける。

もちろん完璧にこなせる人なんていない。
だから気が付いたところから、取り掛かる。
①②③どこからでも。

誰かの助けを借りながら、①を体験しながら、②に気付き、③で自己責任を取る。
少しずつ、少しずつ。くるり、くるりと。

そんなことできるか!?って思っていながらも、どれだけヘコタレても自分を癒すと決めて最高最善の助けを求め続ける。(ハイヤーセルフ)

わたし自身、そんなに簡単には変わらなかったけれど、気が付いたら遠くまでこれた。

もちろん今も継続中。
終らないんです。みんな不完全だもの。でも終らなくても苦しくなくなるんです。いや正直なところ楽しくなるんです。

そうしたら次はいかにこの世で自分を発揮するか、という道へ。 ← いまここ。

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