新しい体験と得られなかった体験②

「新しい体験と得られなかった体験①」の続きです。

「得られなかった体験は取り戻せる」と体験系のセラピーでは言いますが、
それが受け入れられないとき、何がおきているのか。
①は3歳以前の誤解~接触って気持ち悪い~について書きました。

でも、その体験を受けいれて自分と繋がり直しても、結構現実は変わりません。
②はニーズの誤解について書いてみようと思っています。

②ニーズの誤解・・・だって貰いたいのはあなたからじゃない、お父さん、お母さんから貰いたい、と感じる場合

「いや、そんな体験はいりません」
「所詮ニセモノじゃないですか。だってわたしの親は絶対にそんなことしませんよ」

あたたたたたた。← ok google の返答か!?(お前はもう死んでいると音声入力すると答えてくれるそうですね^_^;)

かつてのわたしです。 
親(誰か)にしてもらいたい」と、「欲しい・必要」の違いがわからなかった。

〇〇にしてもらいたい、は要求。結果がすべて。具体的。樹木に例えると葉っぱ。叶えてもきりがない。
欲しい・必要というのは、思いなんです。そう感じたこと。ただそう感じていると受け止めてほしい。樹木に例えると幹。

ex.「お母さんに世話をしてもらいたい。抱っこしてほしい」
ではなくてその奥の、
「その時寂しかった、怖かった。ほっとしたかった」
と理解できると、
新しい体験として「ほっとする体験」をしてみることが可能になる。

ただ子どもだったので具体的な要求の形でしか理解できていなかった。
表面的な要求ではなくて、その奥にある感情は何かな、こう感じていると伝えたらどうなるかな、と考えられるようになると、生きるのが楽になる。
ニーズが表面的な要求のレベルで留まっていると、ワークショップやセラピーでどんなに癒されても、人生はやっぱり苦しい。

だって嫌な人にも怖いことにも人生で何度でも出会うもの。それどころか、愛する人の中に嫌な部分を発見するもの。
そのたびにあの人がこうだったら、環境がこうだったらと、一枚一枚の葉っぱのレベルでいくら考えても求めても、自分は幸せにはならない。他者の行動に自分の幸せを委ねているわけですしね。

とはいえ、現実にはわたし自身、今でもすぐに他人にしてもらいたい、に入ります。
人間ですもの。

そのたびに、

はっ!! その奥の本当に欲しいは何だっけ?

って気付けるのって、楽だよ~っとかつての自分に言ってみたりして。

「けっ!! そんなに簡単に見つけられたら、こんなに苦しんでないよ!!」

・・・だよね~。

ずっと自分には未来はない、どこにもいけない、自分の人生は自分のものじゃないと信じ込んでいたもの。

ここで出てくるのが権威の課題です。続きます。

コメント