今日は母の13回目の命日です。
桜が咲くと、爛漫の桜の中の葬儀を思い出します。
いや、葬儀は雨だったか。
でも実家の桜は満開だった。
記憶はショートカットして知らず知らず勘違いの回路を作ってしまいますね。
こうしてイメージができていく。
過去日記の中には、両親への恨みつらみの生の記録もあって、整理したいな~と思わないわけではないのですが、
歪んだ真珠の美しさがあって、触れません^_^; どう整理してもしたたるような香りは失われる。
イメージや傷って、痛々しく鮮烈で、ある種の魅力がありますね。
自分も夢中になる。見たり聞いたりした人も夢中になる。ネガティブ・プレジャー。
「幸福な家庭はどれも似たものだが、不幸な家庭はいずれもそれぞれに不幸なものである。」 『アンナ・カレーニナ』 トルストイ
先日お彼岸の入りに合わせて、桜の花のお菓子を準備していたら、
ふっと、みぞおち・・・というよりも腹直筋上部に緊張が走りました。ここはいろんな感情を溜め込んでいて、よく攣ります。足はこむら返り起こさないけど、腹筋はしょっちゅう、うがががが!!とのたうちまわりたいほど強烈に固まります。
桜の花 → 緊張
何かあるよね。
と思い、車を走らせながらSAS。
この感覚いつからある・・・?
この身体の感触になるとき、どんな感情? 頭の中は?
・・・・ああ!
あふれてきたのは、複雑な悲しみで。
そうだ、あの葬儀の時、混乱しきっていてわたしは一切の感覚を遮断したんだった。
PTSDを発症して、セラピストの手を借りながら、たくさんの怒りや苦しみ恐怖、その奥の愛と向き合ってきたけど、
母を亡くした悲しみが自分の中にあるとは思っていなかった。
友だちに、〇〇ちゃん悲しんでいるよね。
と言われながら、かつてのわたしは全否定していた。
悲しんでないよ。ただ、わけがわからないんだよ。
母にもう一度会いたいとは全然思っていないし。病室でも何にも感じなかったよ。
でも、その時確かに、みぞおちを固めていたわたしがいたことに、ようやく気が付いた。
身もだえしながら車の中で1分ほど号泣していたら、みぞおちはやわらかくほどけ・・・ふわっと広がった。
大きく息をつく。
多分、この腹直筋はもう痙攣しないんじゃないかなあ・・・。
そんな気がした。
↓
実はその数日後に、右の腹直筋が衝撃しました。()
左は母で緩んでいたけど、右は父だった。全然違う感情だった!!
本当に私たちの身体って、どんなに繊細に感情を溜め込んでしまうんだろう!!
これで終わり、もう大丈夫ではなくて、好奇心をもって見ていくと、もっともっと豊かな感情に触れられる。
SAS面白いです。
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