地方にいると、いいお医者さんとカウンセラーを見つけるのは至難の業です。
心療内科、精神科、メンタルクリニック…みんな、精神科の勉強しなくても勝手に名乗れるってご存知ですか?
医者はまだいい。薬を出してくれて、診断書を書いてくれれば、それでいいから。
でもカウンセラーは、治していくらの世界でしょ。
いや、地方にいると安いんですけどねえ。1時間以上面接しても、保険診療で、350円とか。
今通っている東京のカウンセリングルームは、一時間12600円です。これを高いと思うか、安いと思うかは、どれだけ切実に治したいかにもよるんじゃないかな。
私はそこの室長に月4時間の治療を受けています。去年の11月から。
乖離(苦痛を苦痛と感じないこと)が溶けていくのが、実感できるのね。だって、なんにもできなくなったもの。苦痛が苦痛として感じられるようになっていくの。
父母への憎しみが遠のいていくのがわかるのね。地方の病院に通って、二年間、何の変化もなかったのに。若い頃、斎藤学先生のところに通ってました。『子供の愛し方が判らない親たち』が出版されたとき、はじめて自分がACだと気付いて、先生宛にレターを出しました。ジェイカという自助グループ立ち上げの頃です。オープンミーティングに1年くらい通って、やっと、自由になったと思いました。
でも東京まで通って治療を受けたいとは当時は思いませんでした。なんだかよく判らない空虚感、それが何かと教えてもらえただけで十分だったのです。鬱でもないし、親とはけんかして縁を切って自分の人生を始めたところだったし。
そして40歳で母を亡くすまで、本当に幸せに生きてきました。
ところが!
いきなりのPTSD!
フラッシュバック、侵入的回想、毎日毎日十数回ぼろぼろ泣きながら、仕事をしていました。仕事中でも涙は出てきます。頭の中は
あのとき、そのとき、の記憶でいっぱいです。
通勤時間は毎日涙しながら、会社についた途端に、
「おはようございま~す」
って、明るく仕事場に入っていきます。昼休み、帰宅途中、泣き続けです。
同僚や部下や、電話先のお客さんに気付かれないよう、必死です。
最初は親の記憶が、甦る、甦る。しかも嫌なところだけ。
夜はほとんど眠れず、血圧は通常低血圧なのに、毎日高血圧状態で、心臓は常時不整脈だし、
いったいどうすればいいの? とパニック状態。
自助グループに参加したり、県の社会福祉センターの相談員にカウンセリングを受けたり、病院の臨床心理士にかかったり、いろんな手を尽くしてみました。
全部無駄。
最初にかかった医者は、「仕事ストレスです。休業しましょう」
という女医さんで、3回でやめました。次にかかった医者も「抑鬱」という診断で、「PTSD」だということをなかなか認めてくれませんでした。「死にいたるほどの体験とはいえないんじゃないかなあ…」とかぬかしてました。その診断基準はベトナム戦争の頃だよ。私のは「複雑性PTSD」で、たとえば大震災経験者とか、戦争経験者のとは違うんだよ、と、もっと勉強してよ、と思いながら、いまだに通ってますけど…。だって、安いんだもの。それに、父親が刃物を振り回していた記憶(兄の)を話してからは、PTSDは一応認めてくれています。
で、自助グループのメンバーに紹介されて、東京まで行くことにしたのは、本当に治したかったから。それと、しゃべらなくてもいい治療だと聞いたから。認知療法は、カウンセラーの腕次第なのです。それにいろいろ試して、何度も何度も過去のきつい体験を話すのはもう勘弁して…と言う気分だったんです。
最初はお試し気分で行きました。何せ高い! 東京では通常料金なんだけど、交通費と治療費考えたら、涙が出そうです。
で、何にも話さない状態で、初対面で言われたのが、
「うわぁ、ぼく寒くてたまりません、暖房つけていいですか?」
暖かい11月のことでした。
「母の死後、二年間、悲哀の発作が止まらないので取ってください」
と、面談前の調査書には書いたのですが、簡単なジェノグラムのあと、FAPしながら、
で、途中で「全身が痛い~。10分休憩させてください」
と部屋を逃げ出したり。
つまりセラピストが自分の内臓で、病状を感じ取るという、心霊療法か?!という怪しげな治療なのです。
いや一応ちゃんと裏付けあるし、ミラーニューロンとかいろいろと学会発表もされてるちゃんとした治療法ですよ(笑)
「典型的なACoAのPTSDですね」
って言われたとき、ああ、この先生は説明しなくてもちゃんとわかってくれると思ったの。
で、実際に楽になるの。認知療法みたいな、あとでどっと疲れる症状もなく(しゃべらなくていいから)、すごく気楽になっていくの。
これは本物だ、と思って次回予約を入れました。
で二月のときに、「全身が痛い」と嘆かれて、
「頼むよ~。もう仕事休んでよお。限界だよ~」
と、即時休業宣言されたんだけど、当時は年度末でものすごく忙しかったので、
「最後の締め切りが3/6だからそれを片付けてからなら、引継ぎして…3月中には」
と、答えたら、
「即時じゃないじゃん」
と、机に突っ伏していました。
いやあ、演技派です。
5月の面接のときに、「あのとき休まなくても、本当は大丈夫だったんじゃないですか? 頭の中はぼろぼろでも?」
と、尋ねたら、
「いや、もたなかったよ」
と、真顔で答えられました。相当やばかったらしいです。全然実感ないけど。
私が実感したのは、華さんの気功治療受けてからだから。だってどんどん、エネルギーが入ってくるんだもの。今まで一度も貰ったことないのに! 「貰うね、ありがとう」ってのはたくさんあったけど、取られた感触もなかったのに。
4月に食事療法やってみましょう、と言われて、小麦粉、乳製品断ち(ADDやASの人には本当に効きますよ)し、
5月に入ったら、本当に動けなくなりました。日記書いてるけど、人には会えないし、電話は論外だし、家族にも会いたくない。
先生喜ぶ、喜ぶ。
「やっと乖離が溶け始めたね」
私も実感あります。だから日記も書けるのね。
あれ、本当に苦しいままだったら、文章にはできないもの。
それでも治癒目標は来年、三月です。
どうなっていくか、本当に楽しみにしています。
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