8.昔、子供はいなかった。

「子供時代」が生まれたのは18世紀。産業革命から。
 日本にいたっては、20世紀から。
 余暇がうまれ、親が子供に手をかけ始めてから。

 そのわずかな歴史の中に、児童虐待を見る。
 痛みを語る。
 親達が他の手段を知らないのは当たり前だと、理性は語るのに。
 
 世界中で起きている、少年兵、子供の病気、児童労働、女児の性器結索、もちろんそれも虐待だけれども、まず、生きていかなければならない環境の中で、虐待が自覚されることはまずない。
 親にも、子供にも。
 過去の歴史の中に山のようにあった事実も、「子供時代」が生まれるまでは、ただの事実でしかない。

 だから貧しかった時代を知っている親には、自分が子供に何をしていたかわからない。
 次世代の親達は、貰ったことがないので、子供になにを与えたらいいか、わからない。我慢するのは当たり前。殴られるのは当たり前。無視されるのは当たり前。ただし、彼らには兄弟姉妹が多い。親が何をしなくても、年長の兄姉の世話を受けて育ってきている。大半は。
 そして三世代目以降に病気が表面化する。ほとんどが二人兄弟以下で、核家族で、密室の中で行われるさまざまな無自覚の虐待。

 自分は我慢してきたのに、なぜこの子には出来ないのか?
 自分は親から特に何も貰ってないのに、どうしてこの子は親を責めるのか。
 食べさせているのに、教育を受けさせているのに、小遣いを与えているのに何が他に必要なのか。
 (家なんかご飯も時々とんだけどね)
 なぜこの子は他の子と同じことが出来ないのか。
 
 あるいは、逆に

 自分が与えてもらえなかったものを全部与えてやったのに、どうしてこの子は、反抗するのか。

 子供は他人。親が欲しかったものを受け取って、うれしいかどうかはその子による。
 欲しくなくても、子供は親の喜びのために、貰ってしまう。自他の区別がつかない頃から、強制的に押し付けられて。
 親の喜ぶ顔をみたくない子供はいない。
 
 そうして自分が消えていく。
   
 自分って何?
 自尊心って何?

 取り戻すのはものすごく大変。
 一から作り直さないといけないから。

 前にも書いたけど、

 本当は親は子供を殺したいんでしょう。
 (理想の自分をつくりたいだけ)
 子供は親のために生きるんでしょう。
 (親の中の空虚を埋めてあげるためだけに)

 もうやめたけど、わたしは。
 やめてもなお、鎖で縛り付けられている。
 砕けた夢のかけらの中に。

 永遠に叶わなかった夢。
 安全な家の中の愛される子供。

 
 いつの日か、生の讃歌を歌える日が来るといいな。

 美がまえにある
 美がうしろにある
 美が上を舞う
 美が下を舞う
 私はそれにかこまれている
 私はそれにひたされている
 若い日の私はそれを知る
 そして老いた日に
 しずかに私は歩くだろう
 この美しい道の行くまま

               ナヴァホ族の歌

 
 からだは溶けて宇宙となる
 宇宙は溶けて音のない声となる
 声は溶けていちめんの輝きとなる
 そして輝きはかぎりない歓喜の胸に抱かれる

               パラマハンサ ヨガナンダ

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