9.心ある道 カルロス・カスタネダ 真木悠介

一度ははまりませんか?
 
 カルロス・カスタネダとか、
 パグワン・シュリ・ラジニーシとか
 シャーリー・マクレーンとか

 わたしははまりました。

 加藤諦三さんが、『アメリカインディアンの教え』を出す前に。

 「ナワ―ル」と「トナール」
「トナール」とはロゴス、社会的知性、世界に秩序を与えるもの
「ナワ―ル」とは、自己の檻を解き放たれて世界と一体となる感覚。

 アスペルガーの人は「ナワール」に近いんじゃないのかな?
 わたしだけかな?

 子ども時代からしょっちゅう、話の途中とかにふっとその場からいなくなってしまうらしい。からだはそこにあるんだけど、意識が違うところにいってしまうみたいで、しばらくしたらかえってくる。
 友達が寛容だったので、笑い話ですんだけど、今だったらいじめられるのかな?
 てんかん発作? 深く考えたことなかったです。当たり前の感覚だったから。
 そのとき、わたしは世界で、世界はわたし。
 何もかもがとけてひとつになる。
 快楽。
 ナワ―ル

 でも行っちゃったきりだと、人の生活が出来ないから戻ってくる。当たり前の日常と、決まりの中に。
 「統御された愚かさ」って表現されているのは、なんだか普通の人のふりをすることにとても近い。
 話すというやり方で、世界を形作るもの。世界に意味を与えるもの。言語化された、自我を守るもの。護り手なのに、自分をあるべき姿に縛るもの。
 トナール

 大事なのはトナールにしばられることではなく、ナワールのとりこになることではなく、二つの世界を自在に行きかうこと、複眼で世界を見つめる見方を手に入れること。

 これって当たり前のことじゃないの?
って、小さい頃から思っていました。

 今はね、トナールにがんじがらめです。
 ナワールは遠いです。

 ドン・ファン(インディアンの老人)は言う。
「わしにとっては、心のある道を歩くことだけだ。どんな道にせよ、心のある道をな。そういう道をわしは旅する。その道のりのすべてを歩み尽くすことだけが、ただひとつの価値のある証なのだよ。その道を息もつがずに、目を見開いて、わしは旅する。……
知者は行動を考えることによって生きるのでもなく、行動を終えたとき考えるだろうことを考えることによって生きるのでもなく、行動そのものによって生きるのだ。……知者は心のある道を選び、それに従う。そこで彼は無心に眺めたり喜んだり笑ったりもするし、また見たり知ったりもする。彼は自分の人生がすぐに終わってしまうことを知っているし、自分が他のみんなと同様にどこにも行かないことを知っている」

 昔からだで知っていたことを、遠くから眺めているのは不思議な気分です。

 辛いかといわれると、どうせいつかは空に上がってしまうのだから、今はどっぷり地球人の気分を学習しているのかな、という感じ。
 ものすごく苦しいと、一方では思っているんだけれども。

 檻の中に閉じ込められたような感覚。
 空間だけじゃなく、時間も一定の間に閉じ込められたまま。
 わたしは今18歳です。
 わたしは今17歳です。
 あるいは0歳です。
 0歳から18歳の間をうろうろしながら、迷子になってます。
 
 今に戻りたいと思いながら、すぐに滑り落ちてしまいます。
 どこにも足場のないつるつるの壁。
 
 あがいてもいいけど、きっとこのお休みはとても必要なことなので、ゆっくり抜け出す日を待ちます。
 

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