小学生時代の友達に夢の中で思い切りなじられた。
2学期、ほとんど登校しなかった私。
私の家族(もしくは私)が何かの病気にかかっていたため。友だちに適当に話をずらしては、その問題を打ち明けるのを避け、やがて真実がばれるというパターン。
「家族の病気(もしくは私の病気)をなぜ打ち明けてくれなかったの?」
と詰問されて、
「言える訳がないじゃない」
と、反論する私。
デパートの中で、大声張り上げて大喧嘩。大声出したのは友人。
別の友人から「デパートで大喧嘩したんだって」
と、揶揄されました。「あの子は激興するタイプだから」
どうして「打ち明けられるわけない」んだろう?
そのこの家が幸福な家だからかな。
わたしが人に弱みを見せるのが嫌いだからかな。
0才~2才の間に基本的信頼(基本的不信)が身に付くという
エリクソンさんの説によれば、根本的な不信が根っこにあります。
その時期、親はいなかったんだからしょうがないです。
発達心理学:http://
私はマイナスの積み重ねでできています。
でも人間性はプラス思考の楽天派。
「仔羊の巣」より
「一緒に歩いてくれる人がいる。
それだけの、それくらいの価値はある人間だ。
だから、存在していても許して。
見なかったふりをして、許して。
許してください。
鳥井はあの時、世界に向かって許しを乞いながら、その実彼の母親に許しを乞うていたのではないか、そう僕は思っている。」
…コミュニケーション禁止は、ものすごくきついです。
自他境界線のあいまいな私には、フィードバックしてくれる他人が必要で、それは依存なのかも知れないけど、鏡なしには自分に対して欲望を抱くことは難しいのです。私が唯一誇れるものは現実でもネットでも知り合えた人たちだから。
でも激興して怒り散らすのも私ですね。私の中には抑圧されたそういう個性が確かにあるんですね。
はやく表に出てこないかな?
p.s それでも人生はイエスですよ、もちろん。v(^^)v
コメント