『蟲師』の中で1日ごとに生死を繰り返す蟲に寄生されていた少女が、正気に返って語る言葉。
「何だか…不安でたまらないの。
…生き神だった頃は陽が暮れて衰え始めて眠りにつく時―――いつもとても満たされた気持ちで、目を閉じられたのに、今は……恐ろしいの。目が覚めてもただ、昨日までの現実の続きが待っている。目の前に広がるあてどない膨大な時間に足がすくむ……」
今がそんな感じです。
ぎりぎりに巻いたねじは、側頭葉が過剰に働いていたせいで、それをちゃんと普通の人並みに緩めないと、脳の寿命がきてしまう。甲状腺ホルモンも一定量しかなくて、たくさん使うと、今度は欠乏してしまう。だから、ちゃんと休むことを体に覚えさせないといけない。
普通の人は倒れるまで働かないんだって。
倒れるまで、体の不調が判らないのは異常だって。
痛いとか苦しいとか、お腹すいたとか感じるものなんだって。
二年半前まで馬車馬のように仕事と遊びで時間を埋め尽くして、ばったり良く倒れていました。
余力を残すなんて器用なこと、どうやっても出来ない。
疲れているって気がつかないから。
今は体に休むことを覚えさせています。
働きたがって大変です。勉強しなきゃとか、遊ばなきゃとか、予定をすぐ入れたくなってしまう。
空虚な時間って恐ろしいものだったんですね。
ほんと目の前に広がる膨大な時間に足がすくみます。
愉しむこと、喜ぶこと、嬉しいこと、ではなくて、「時間を埋めたい」という根源的な空虚が私の中にもあるのだと、抑鬱の中でわかってしまいました。
やりたいことがなにひとつないのに、何かをしないではいられない。
ただ、今の休息を味わうことの難しさ。
母が死ぬほど予定を入れていたのは、彼女も根源的に満たされない何かに突き動かされていたからでしょう。
彼女と同じ空虚が、私の中にもあるのだと最近思います。
それは、親から貰い損ねたもの、世界への信頼。
別のもの(仕事、恋愛、買い物、趣味、ボランティア)に依存して、空いた時間をなくすことで自覚をしないようしていた空虚。
人の根源的な空虚、淋しさ、虚しさ、恐怖。
虐待の有無と関係なく、これを感じない人は果たしているんだろうか?とも、最近考えるようになりました。
人々の間を高速で飛びまわって跳ね返って煌く一瞬の光だけが自分じゃなくて、私は私(無人であれ、悠久の時間の中であれ)と言い切れるものをつくりたいものです。
蟲の時間から人の時間に戻って。
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