「自分は生きるのにあたいする人間です」
昨日、ふと、この有名なアサーティブメッセージを唱えられることに気がつきました。
その後はまだまだだけど。
去年はこれを見ただけで、感情失禁が起きて、なんで今生きているのか判らない…とか怪しいことを言っていたのに。
わたしは生きるのにあたいしない。
親から捨てられた、育ての親からも捨てられた、ごみ箱。
親が死んだのに何で生きているのか判らない。
わたしは親の親役で、もうその役目は終わったのに…。
いや、目が覚めるとアホみたいなんですけれども。
愛憎絡み合って、わけがわからなくなって、自分もわけがわからなくなって、地面のそこが割れてまっさかさまに地獄落ち…
飾り玉の紐を解きほぐしていったら難解な模様も白い丸に戻るように、ぐちゃぐちゃだった「母」はとりあえず消えてくれました。
今は区別がつきます。母とわたし。
まだ区別がつかないのは (父 父&母 家庭)vs わたし。
万能接着剤は変幻自在で、個性とは別のところでものすごく自分をたわめて生きていました。
なので「自分の居場所を確保すること」「自分を愛すること」等々がどこまでやっていいことなのか、どこからが駄目なのか、さっぱり判りません。
正月に他人の家に泊まること:原家族の常識
自分の家の留守番を他人にさせること:原家族の常識
原家族の常識=世間の非常識と打ちのめされて、世間を吸収しすぎたら過剰適応してしまいました。
今やっと、針を逆に向け始めたところです。
日向ぼっこのようにのんびり歩きながら…
まあみんな最後までマイペースでいけばいいよねえ。
西尾和美さんのアサーティブメッセージ
「自分は生きるのに値する人間です。
自分は、自分のままでいいのです。
自分は愛するのに値する人間です。
自分の居場所をつくっていいのです。
自分をうんと好きになります。」
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