一般社団法人 HITキャラクトロジー心理学協会で学んでいる中で見えてきた防衛の論理というか、屁理屈というか、
自分の中にあるいろんなパターンをまとめてみました。
おそらく生まれたての赤ん坊には、ほんの少しの違いも全く違うものにしか見えなかったのでしょう。
五感の未熟な時期には、こうやって危険を察知したのかも。
でもこれが発動すると、他人の意見やアドバイス、世界の仕組みが理解できない。入ってこない。
ただし、理解できたときには独自の深みに達していたりもしますね。自力で悪戦苦闘したぶんだけ。
まだ動けない頃、もらうしかなかった時の感覚が大人になっても残っていることにびっくりします。
当時はきっと、待つしかなかった。そしてもらえないことをあきらめるしかなかった。
でも大人になっても、強烈に今すぐ欲しいとか、望むとおりの形で持ってきて、とか、自分が動けることや待てることを忘れてしまうことがあります。
チューリップの球根じゃ嫌なのです。花束でなくっちゃ。
けれども、だからこそ他人の願いに気付けたり、他人と分かち合えたりもしますね。
自我が少し芽生えたころ、でも自分の好みや意見がまだはっきりしていない頃、親や大人が先に、あなたはこれが好きなのねと決めてしまったり、判ってしまったり、あるいはいつもこうしろああしろと言われたりしたのかもしれません。
自分と他人の区別がつかないのが困りもの。特に利害が重なるところで、当たり前のように自分の権利を主張してヒンシュクを買ったりします。
でもその分、世界や人への恐れがないのが強み。
そして愛されていることを知っているのも大きな強み。
ほんの小さなことが、どんどん大きくなっていく(^_^.)
理屈が通っていないことに本人だけが気づいていない。でも他人に伝える力が強いので、煙に巻いてしまうことも。
次から次に思い込みが流れて、根本を見失うことがあります。
特に人に対してイライラしがちかも。
その分、自在な発想力と他人を動かす力があるのが強み。
世界の在り方やその場のルールが最優先なので、窮屈だったり。楽しくなかったり。そしてはみだす人に厳しかったり。
一方でどこまでもやり抜く力、達成する力や耐え抜く力もあったりします。
それぞれに未熟な理屈があって、統合の方向もそれぞれにあるわけですが、
体感や気持ちと一緒に自分の論理も形にすると面白いですね。
言葉だけだともっともな感じがすることも、図にすると笑える。
私の頭も日々いろいろ忙しいです…。
補足
スキゾイドが発動するとき
全く理解できないと感じているけれども、もしかしたら99パーセントは判っていたり知っていたりすることを思い出す。
そして、ピントの合わない1パーセントを他者の手を借りて、あるいは自力で探り当てる。
ヘレン・ケラーの「WATER!!」の瞬間が、天啓のごとく訪れる。
*問題は内容ではなくて、ピントの合わせ方が判っていないことに尽きる。
*けして世界に拒絶されているわけではない。(むしろ自分が99パーセントを拒絶している)
オーラルが発動するとき
足りない、助けてもらえない、見捨てられた、自分は無力だと感じる時
自分で取りに行こう♪
でもその前に、どんなリボンがほしいのか。どれほどの大きさが欲しいのか、
自分の願いを認めよう♪
言葉にしよう。
手に入った時に、自分はどうなれると感じているのか、何が欲しいと思えるようになるのかみつけよう。←大事。
歩きたい一歩の幅は自分で決めよう。
ぐれたいときはぐれよう。飽きるまで。飽きてから歩こう。←結構大事。
夢に見た完璧な人(理想の親)はこの世にいないと、認めよう。わたし自身もそうじゃない。でも死なない。大丈夫。
*自分が自分(の願い)を見捨てないこと。何度外から断られても。
マゾキストが発動するとき
その時が判れば苦労はしない。
もやっとした感じがわかるように、自分と仲良くしよう。
多分意地悪な気持ちが出る時、それが発動の瞬間。
*自由ということに気付く。
どんな圧力がかかるとしても、自分が何を感じてもいいことを思い出す。
サイコパス・リジットが発動するとき
この辺からは、個性によって千差万別。
私の場合は、誰かの期待に応えたいとか、求められる役割を果たしたいとかで発動しやすい
誰かがこう考えているに違いないと感じる人もいるかもしれないし、
社会人として、父として、母として、日本人として、当然こうあるべきだと感じる人もあるかもしれない。
*無能だったら何が起きると恐れているの その時自分はどうなっちゃうの
*はみだしたらどうなるの
この辺が個人的な気づきポイント。
あと、マイナスチェックだけだとつまらない。
それぞれの凄いところに目を向けよう♪
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