広隆寺の弥勒菩薩

数年ぶりに弥勒菩薩に会いに行った。
思えば、十代前半から幾度ここにきたことだろう。
会えば、しんと心が静まるのが常だった。
自分が純化されてニュートラルな存在に戻れる。それが心地よくて、何度も何度も通ってきていた。

久々に会う弥勒菩薩は、どこか以前とはちがって見えた。
慈悲の深いまなざしは、常には深い悲しみに彩られているように思えたのだけれども、
今回は静けさの中に強さを感じた。笑みの柔らかさを感じた。

なんだろう。
弥勒の前に静かに座る。

立ち上がり、角度を変え、また座る。
目を閉じて呼吸を深める。ただ意識を呼吸に沿わせていく。

太いへその緒が、身体と弥勒を繋いでいる感じがした。
目を開ける。弥勒の笑みが深まる。
幾たりか繰り返していくうちに、はっとした。
生まれて初めて、私は自分の身体を弥勒の前で意識していた。
かつては身体が溶け、時間も空間も忘れて弥勒と一体化していたのに、今は私自身として、この場にいるのだった。

涙があふれた。
思い出した。
何度も何度も、どれほど乱れた気持ちをこの場に落としてきたことだろう。
どうすればいいのか、どうやれば叶うのか。
考えて考えて、どうやっても見つからなかった家族が平穏に暮らせる術。私自身が幸福を感じる術。

14歳の哀しみと無力感。
18歳の、19歳の憎しみと嫌悪。40歳の空虚。たくさんの折々の一人では抱えきれない思いを、弥勒菩薩にチューニングすることで放出してきたのだった。

胸の塊が緩んでいく。
戻っておいで、置きざりにされたわたし。

折々の思いを思い出すたびに、胸の塊が花開いていく。軽やかな羽毛のように広がっていく。いつしか身体全体の風通しがよくなっていた。

私は私を取り戻しにきたのだ。
そう、知った。

最後にもう一度、目を閉じた。
私はどこまで行けるでしょうか?
目を開けた時、弥勒はにやりと笑っていた。

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