…昨日からずっと、これを頭に叩き込んでいます。
『レ ミゼラブル』読破しました。
早いでしょう? 本人にとっては全然早くないんだけど、なぜ5冊読了したかと言うと、歴史詳細場面が全く頭に入らないからです。
人と人が会話しているか、独白しているシーンしか読めない。
だから、早いんです。
でもって、各シーンで、過去の亡霊が、蘇る蘇る。
だだ泣きです。
今日も朝から泣いてます。
でもこの能天気なヒューマニズムに満ちた大衆小説の中で、わたしが一番感じたことは、「愚かさと無知は罪ではない」ということです。
母は3つの家族の中にわたしをほうり込んだ。
(母が好意で言った「養女にやる」という言葉はわたしにはおまえはいらないと聞こえた:育ての親の「家の子のようなもんだ」は長い間、ここの家の子どもになるんだと言う確信だった。:実家は恐ろしい場所だった)わたしは親の意味も知らずに育った。
彼女は母であること(抱きしめること・家事をすること・子どもの言葉に耳を傾けること)の一切をしなかった。
家の中に仕事をもちこみ、生徒を持ち込み、生徒のためと、自分の趣味のためにありとあらゆる時間を費やし、父と争い、そして負け、泣きじゃくり、慰めを求め、わたしに寝かしつけてもらって安らかに眠った。
わたしはどこで泣けばよかったのか?
抱きしめる腕がないとき、人は泣かない。
聞く耳がないとき、人は語らない。
SA被害にあった娘に「そんなことはどこにでもある」という母を憎んでいた。
父の暴力の前に娘をおいて逃げ出す母を憎んでいた。
耐え切れないものを抱えて、一歩も歩けない気持ちの中で、先に泣かれて、慰めざるを得ない立場におく母を憎んでいた。
だが、
祖母は、母が24のとき長患いの末に死んだ。
母は母らしいことをしてもらったことがあるのだろうか?
祖父は長寿だったが、母が生まれたときにはもう55だった。
ただの明治の人だった。あるいは江戸の。母は父らしいことをしてもらったことがあるのだろうか?
四民平等を、男女同権を彼女は頭でしか判っていなかったのかもしれない。
彼女が、(当時の)世間の一般家庭の、母親ではないこと、彼女の母親としての義務に対する無知と愚かさを責める気はなくなった。
夫とわたしは同年齢だけれども、母と義母は一世代違うのだ。
彼女の無知を責めても仕方がない。
ならば、わたしはもうひとつ許さなければならない。
このほうが難しい。
「沈黙の掟」に触れるから。
わたしが、彼女を母だと気付かなかったのは、わたしの罪ではない。
彼女がそれをどんなに辛く思っていたとしても。わたしにとって、母は「おばちゃん」育ての親も「おばちゃん」だった。
最期まで愛着を抱けなかったことは罪ではない。
彼女がどんなに淋しがっていたとしても。
彼女が母として振舞うことを止めた時(仕事をしているかどうかの有無ではなくて)、必然的に娘は娘でなくなったのだ。
お互いに愚かだった。そして無知だった。
彼女は、愛は態度で示さなければ伝わらないと言うことを知らなかった。
わたしは愛は、表面の態度とは別のものだと知らなかった。
世の中には罵倒することで愛情を表現する人もいるのだ。それを理解するには時間がかかる。
ただし、だからといって、生前に戻ってやり直したいとは、微塵も思わない。
確かに、愚かさと無知は罪ではないけれども、彼女がそこから抜け出す努力を全くしないなら、住み分けるしかない。
過去について和解をすることと、これからをどうするかは全く別の話なのだから。
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