41.気がつけば四年

今年は、母の命日をすっかり忘れていました。

桜を見ても何にも思い出さなかったよ。

過去が過去になるって、こんなにも軽やかなものだったんですね。

長い自己不信は、誰かをけして許さない恨みの鏡像。

終わりました。
終わったと清々しく言えて嬉しいです。

ソウヤーの『フレームシフト』は、もしPTSDが今も続いていたならば、楽しめなかったかもしれません。

これは傑作ですね。
ハンチントン病という、けして治療の見込みのない遺伝病にかかっているかもしれないと疑いながら日々をおくる主人公は、永遠にアル中の父の面倒を見なければならないかもしれないと疑い続けたわたし自身に重なります。

病がわかってもつらい、もし病でなかったとしても、生き急いだ原動力を失って抜け殻になってしまうかもしれない(母の死後を思い出します!)。

そんな主人公を縦軸に、ネアンデルタール人のDNAや、テレバシストの配偶者、ナチス協力者の探索が重層的に絡み合います。
最後は大団円。
読後感が清涼なのが、ソウヤーの一番の特徴かもしれません。

これはいいSFじゃなくて、優れた小説ですね。
普通に読んで実に面白い。

さて今日は『不在の鳥は霧の彼方へ飛ぶ』という、パトリック・オリアリーを読みはじめているわけですが、これがまた失えないものを失ったあとの抑鬱を丁寧に綴った作品で、なんてタイムリーなんだろう…。

主題は全く別なので、重たくはありません。
むしろ短調の名曲を楽しむような感触です。
まだ途中。
最後はどうなるのかな…?

それにしても、侵入的回想もフラッシュバックもなんにもでないよ。

嬉しいな。

コメント