12.共依存は子どもの智恵なのかもしれない

よくやったね、がんばったねとインナーチャイルドにささやくとき、どうしても反発してくる心のもやもやがあります。

もやもやは深いところで悲しみにつながっています。

本当にがんばったのかなあ。
本当によくやったのかなあ。

この悲しみは何だろうと思ったとき、親を慰めるために使った長い日々を、自分を置き去りにしてきた長い時間を思い出します。

どうして救ってあげられなかったんだろう。
どうして見捨ててしまったんだろう。

親に対しても思うし、自分自身に対しても感じてしまうので、素直にがんばったと思えないのです。

でも本当にそうなのかな。

子どもの手は小さくて、大人を支えきるのは無理でした。
それでも、彼らを支えようとすることで、わたしも大きくなれたのではないのかな。
そのために止まってしまった自分のための時間を今、取り戻そうとしていて、いろんな課題に気付けるのも、共依存していた時期があってのことなのじゃないかな。

幼児が依存することで生き延びるように、子どもは共依存することで生き延びるのじゃないだろうか。
それさえも生きる智恵なんじゃないだろうか。

親への共依存が途絶えたのは今年に入ってからです。
まだひよっ子なので、時々、戻ってきます。

今から大事にしていくしかないですね。
そのうちコップの水があふれるように、満ち足りる時が来るんじゃないのかな。
その時には、心底からよくやったなあと思えるような気がします。
そしてわたしがわたしと深く繋がったとき、わたしと世界ももう一度、繋がるような気がしています。

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