56.ただの野生動物

神奈川2日間。
今回も超濃密なワークショップでしたw

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土曜日は、4人組でワーク。

最近の事件、友だちの顔が判らないショックをワークしてみました。

予測はね、知人隣人はともかく大好きな人は判別できるはずという自信が揺らいだことが衝撃だったのではないかとか、
昔、呆けた父親に「お前、誰?」と言われながら介護したときのトラウマが甦って二重写しになったのではないかとか、考えていたわけです。

まず、人の顔が判別できない状態を再現するために、頭を止めますと宣言。
それぞれの人に、それぞれのやり方で、知人として声掛けをしてもらい、自分の中に何が起きるかを見て行きたい、と。

マインドフルネスになった途端に心臓がばくばく。
これ、珍しいんです。
わたしはあんまり緊張しないほうだから。
(人前で話すのも、とっても平気)

最初は華さん。
母の不快な声掛けをしてくれたけど、ちょっと違和感があったので普通にしゃべってもらいました。

頭なしにただ聞きます。
表情が作れなくなります。
20年来の友人だけど、どんどんどんどん知らない人に見えてくる。
親しげな口調も、最初の責めるような口調も、何を聞いても、何の反応も起こらない。

言っていることの意味も音も、さっぱり判らない。
親しげな響きだけが届くけど、わたしの中は真っ白です。
相手の表情が変わっていくのをただ見ています。
ただ心臓だけがばくばく。

ゆっくりと味わって、次の方に心臓がドキドキしていると言うと、そのドキドキしている部分に声掛けをしてくれました。

「そのドキドキは何を感じているのかなあ…」

何にも反応しません。
どんな声掛けにも何も響くものがありません。
相手の目玉の微かな動きを見ています。
普段は目線を合わせるのがとても苦手なのですが、まったく平気です。
やっぱりその人が誰だか、わからないままです。

声が出ました。
「ドキドキには意味はない…。生きているってだけ。心臓が収縮したり開いたり、ただそれだけ。生きているってこういうことだよ。いいも悪いもない」

最後の方は、昔馴染みと再会した感じで声掛けをしてくれました。
声のトーンを聞いています。
好意と懐かしさの混じった、呼びかけの声。

無意味でした。
ずっと心臓が踊っています…。

終わった途端に、頭との接続を戻した途端に鼓動が普通に戻りました。

つまり、好意も悪意も、どんな親しい人からでも、予期していないところで声をかけられたときにわたしが感じているのは、くつろいでいた野生動物が、いきなり肉食獣や猛禽類に襲われたような衝撃だけだったのです。

ものすごい衝撃なんだけど、普段は頭を働かせて関係性や親しみ具合を判別しているから、そんな衝撃を感じていることさえも知りませんでした。

頭を止めた途端に、関係性が消えます。
感情が消えます。
出てくるのは急激な恐怖だけ。

…首から下はただの野生動物なのかい!?

びっくりです。
うれしさも愛着も、わたしは体では全然感じていないみたい。
表情も、頭を外すと消えてしまうみたい。

ただ一匹の群れをつくらない動物感覚というのが、一番素の部分なのかもしれません。

ああそりゃ、いきなり声をかけられたらびっくりもするわね。

親しい人と出会う喜び。
身近なものへの親しみや安心。
そういうものすべて、学習して学んできたんだなあ。
人間として振舞うために、がんばって覚えてきたんだなあ。

こういうことを一般の場で言うと、
「え? 本当はわたしのこと好きじゃないの?」
「嬉しそうな反応は嘘だったの?」
とか、あらぬ誤解を招くから言えないけど、ワークの場では安心して出せます。

結論。
心の傷とか、自分の不完全さとか、そういうものが原因の衝撃ではなくて、ただの生命反応。
普段は人間生活を円滑におくるためにけして出さないようにしている部分。
でもどんなときにも、本当はワークの場と同じくらいドキドキしているんだな~。
いいも悪いもない、ただの反応。

いやあ、こんなにドキドキしまくっていたなんて、全然知らなかったよ。
でもちゃんと受け止めたから。

もちろんこれからも人間やりたいから、頭は必死で使うし、不審人物(すべての人( ^ ^ゞ)から、いきなり声をかけられたら、必死でデータベース検索するし、ふさわしい行動パターンを振り出すけど、いつもドキドキしてる動物部分も忘れないよ。

おまけ。

偶然にも昨晩は一人で一軒家にお泊り。

…かつてないほど熟睡しましたたらーっ(汗)
いつもの合宿も気心知れた仲間とむちゃくちゃ楽しくやっているんだけど、わたしの動物部分は、人が一緒の空間にいるということだけで、緊張しているらしいです( ^ ^ゞ
あはあは。
むちゃくちゃ理解できてしまったw

さて、昨日のワークショップは8割楽しく、その後でちょっとした嵐になって不完全燃焼で終わったのですが、今日はその嵐をネタにセッション。

今日の深化具合は凄まじかったです。
守秘義務があるので内容は書きませんが、起きて悪いことなんてなにひとつないんだなあ、何が起きても「今ここ」で起きることは、すべて糧になるんだなあリコミでは、というのを再確認。

最後にセッションしてくれた方も含めて、目に見える流れと、その下に流れる言葉にできない何かをしみじみ味わわせてもらえた濃密な2日間でしたwww

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