幸せになることへの恐れ~小さなエゴの死を超えるとき~ 

ネガティブな磁場があると、本当の幸せに向かうことが怖くなる。

人は本当に欲しいものに手をかけ始めたときに、今までに得た成果を失う恐れに飲み込まれるのかもしれない。

これだけはいやだと決めたり、せめて偽りでもいいから居場所が欲しいと思ったりした子どもの決意が、

ようやく手に入れた場所を手放すことを恐れる。

さなぎとなって、蝶へと転変することを拒もうとする。

『3月のライオン』15巻は、居場所が欲しくてがむしゃらに走ってきた棋士の桐山零が、本当に愛する人や場所を見つけたときに、以前ほど切実になれない自分を発見する巻。

勝ち続けていた桐山零は、最近勝利にがむしゃらになれない自分に気付く。好きな人ができて、彼女と一緒に作ったおにぎりを食べるときに、必死になれない自分に揺れる。抜け出したはずのまっくろな部屋に以前よりはるかに早く入り込む。

「図太くなれたのはとても嬉しいんです 
ぼくはネガティブ過ぎたから・・・ 
—でもコレ、麻痺にも似てる
焦らなくなってきたのはいいんです
—でも必死にもなれなくなるのだとしたら?
------でもこれを食べてしまったらもう
泥水でも雑草でも 食べられればなんでも必死でかき集めてた頃には戻れなくて・・・だから」

「—勝たなければ 強くなければ 将棋で力を示せなければ 僕には何も残らない!!
勝てなければ 僕はただの 役立たずだ!!」

とても共感する。
例えば不幸を土台にがんばってきた時に、特別な不幸を手放せないと感じたり、
誰にも判ってもらえないを土台に一人で走ってきた時に、判ってもらおうとする自分を最初から切り捨てたり、
一定の地位や能力を手に入れた時に、そこから離れるのが恐ろしすぎたり、

そんな時に騒いでいるのは、意識できている自我。小さなエゴ。チャイルドエゴ。

未知への変化は、意識できている自我にとっては「死」と同じ。
とてもけたたましく騒ぐ。
本当の望みを捨ててしまいたくなるほどに。

嫌なところから遠ざかるために必死でつかんだ武器、不信の中のコントロールが、
本当に欲しいものに置き換わってしまうことは、生きている人はきっとみな体験していること。

その時に、零をずっと見守っていた先生が言う。

「桐山 先に言っとく!!
そのおにぎりは 絶対に手放すな
何度でも言うぞ
その おにぎりだけは 何があっても
お前が手放しちゃいけないもんだ!!」

これこれ。
これこそがアダルトエゴの役割だよね。
本当に欲しいものに向かうこと。

うわあ、先生ありがとう。

いつも羽海野チカさんの描くお話には、とことんまで濁りのない真実が詰まっていると思うのだけれど、
今回もどんな魂のテキストにも勝る渾身の一巻でした。

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